研究紹介

理学研究科 数学専攻 田中立志准教授 インタビュー

「古くて新しい多重ゼータ値研究」

リーマンゼータ値、多重ゼータ値

自然数の累乗の逆数の和

数式1

の収束・発散について、学部初年次に学んだことと思います。ζ(s) はリーマンゼータ関数やゼータ級数などと呼ばれ、Re(s)> 1 のときに絶対収束します。変数 s が2以上の自然数のときにはリーマンゼータ値とも呼ばれます。

リーマンゼータ関数の非自明な零点の分布に関するリーマン予想は数学の中でももっとも有名な問題と言ってもよいでしょう。2000年にドイツのクレイ研究所が発表したミレニアム懸賞問題のひとつでもあり、長く研究が続けられている未解決問題です。これは素数分布や約数問題など他の数学に密接に関係する重要な問題です。原子核のエネルギー準位の間隔を表す式との関連など物理学の中での役割にも大きな関心が寄せられています。

リーマンゼータ値は具体的にはどういった値なのでしょうか。18世紀にオイラーが、s が正の偶数のときにリーマンゼータ値は有理数倍を除いて円周率πのべき乗になることを発見し証明しました。たとえば

数式2

などとなります。有理数の部分はベルヌーイ数というものを用いて一般的に記述することができます。では正の奇数のときの値はどうでしょうか。実は今でもほとんど何も知られていません。

私はリーマンゼータ値の一種の拡張である多重ゼータ値や多重 L 値と呼ばれるものを研究しています。たとえば2重ゼータ値は

数式3

と定義されます。k ≥ 2 ならこの級数は収束しています。3重ゼータ値、4重ゼータ値、…と同様に多重化されていきます。一般に

数式4

を(重さが k1 + … + kn 、深さが n の)多重ゼータ値と呼んでいます。k1 ≥ 2 ならこの級数は収束しています。分子はすべて1になっていますが、これを適当に1のべき根に置き換えた級数を扱うこともあります。それを多重 L 値と呼んでいます。

多重ゼータ値は整数論に位置づけられる研究対象ですが、トポロジーや可積分系、共形場理論、数理物理など、さまざまなところに現れます。応用範囲は徐々に広がっているようです。

多重ゼータ値のこれまでとこれから

重さが k の多重ゼータ値は(その引数が違えば違うと思うことにより)2k-2 個あります。しかし、あるものはほかのものの1次結合で書けるなど、本質的に必要なものはそこまで多くはありません。このことはザギエの次元予想というものから見て取れます。

ザギエの次元予想とは、重さが k の多重ゼータ値がQ_白抜き文字上生成するベクトル空間(これを Zk とおく)の次元が数列{dk}で与えられるだろうというものです数式5。数列{dk}は

数式6

と漸化的に定義されます。以下に、重さ k 、重さが k の多重ゼータ値のインデックスのバリエーション2k-2、予想次元 dk を表にしてみましょう。

数式7

さらに、ゴンチャロフや寺杣により dk が次元の上限を与えることがモチーフ論を用いて示されています数式8。このことは多重ゼータ値の間にたくさんの線形関係式が成り立つことを保証しています。予想次元の下限に寄与する研究は、多重ゼータ値のQ_白抜き文字上の1次独立性という問題になり、大変難しいと思われています。ザギエの次元予想はリーマン予想以上に難しい問題かもしれません。

古くはオイラーが計算機のない時代に手計算でリーマンゼータ値や2重ゼータ値に関する具体的な公式をいくつも導き出しましたが、その後は散発的な研究に留まっていました。近年ではコンピュータが発達し、数学の世界でもその利用が進んでいます。とりわけ多重ゼータ値の世界にも新風を吹き込んだと言えるでしょう。多重ゼータ値は、定義級数が収束することは容易に分かりますが、たとえコンピュータをもってしてもよい近似値を求めるのは簡単ではありません。1990年代初頭にザギエはコンピュータで上手い数値計算を行い、次元予想を打ち立てました。ここから多重ゼータ値の研究が新たな出発をしたと言えます。私の研究にも数式処理システムPARI/GPやRisa/Asirがとても役に立っています。技術の進歩と同時に、数学も次々と新しい成果が生まれています。

したがって、多重ゼータ値の歴史は古いですが、研究が進んだのはまだほんの20年ほどのことです。直近では2012年にホフマンの「基底予想」がブラウンによって部分的に解決され、新たな展開を見せています。多重ゼータ値の分野における今後のさらなる発展が楽しみです。

大学院をめざす学生に望むこと

インタビュー風景

進境著しい多重ゼータ値の世界では、日本人数学者も数多くの実績を上げています。研究が進むにつれ、さらなる課題もたくさん生まれます。そのなかには難しい問題も少なくありませんが、数値実験的あるいは初等組み合わせ論的にもやるべきことはまだまだ残されていると思います。

私の研究室を希望する院生には、たとえば以下のような課題に取り組んでいただきたいと考えています。

●多重ゼータ値の関係式に関する研究
 多重ゼータ値の間には、和公式や双対公式をはじめ、一般複シャッフル関係式やアソシエータ関係式、川島関係式、一般導分関係式など、多くの関係式族が成り立つことが知られています。これらの関係式の新たな手法による別証明、まったく新しい関係式族の証明などに取り組んでほしいと思います。さらに、おのおの独立に証明されている関係式族の間の関を代数的手法や組み合わせ論的手法を用いて解明してほしいと思います。

●アソシエータに関する研究
 アソシエータは多重ゼータ値の母関数の一種で、非常に良い性質を持っています。代数・幾何・解析の織り成す対象物であり、遠アーベル幾何や結び目理論、共形場理論とも結びつく重要な対象です。近年、Drinfel'd、Racinet、Deligne、寺杣、古庄、Li、上野、大井らによりアソシエータの研究が盛んに行われています。私も以前このアソシエータの計算プログラムを作成したことがあります。(なかなか大変で、これは実を結びませんでしたが…。)アソシエータの研究には数学の難しい理論もたくさん関わってきますが、これに果敢にチャレンジしてくれる院生を歓迎します。

●多重フルヴィッツ・ゼータ値、 p 進多重ゼータ値、多重ゼータ値の q 類似、多重 L
 多重ゼータ値にはさまざまな拡張があります。各変形版に対して多重ゼータ値の既存の理論がどのくらいパラレルに成り立つのか、それぞれの特殊性がコアになる性質は何か、という研究も大変重要な研究です。

これ以外にも、多重ゼータ値には、保型形式論、結び目理論、場の量子論などさまざまな方向への応用や相互関係もあります。その一方で、多重ゼータ値の研究には必ずしも整数論特有の膨大な数学的知識が必要というわけではありません。計算が好きな人、理論を極めたい人、プログラミングが得意な人、それぞれの立場から自分の趣味に合う研究ができ、いろいろな成果が望める分野だと思います。研究への意欲と確かなビジョンを持って来てください。できることなら博士号を取得し、生涯研究を続けていってくれるとありがたいと思っています。

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