研究紹介

外国語学研究科 言語学専攻 平塚徹教授 インタビュー

「複数の言語を対照する面白さ」

言語学への道

私の専門は言語学で、特にフランス語を対象として研究してきました。しかし、ここ数年は、複数の言語を対照しながら人間のものごとのとらえ方について探求しています。

そもそも、言語学を専攻したきっかけは、高校生の時に英語の語源に興味を持って、自分で色々と勉強しているうちに比較言語学を知ったことです。比較言語学とは、共通の祖先から生まれた諸言語を比較して、その祖先にあたる言語を復元したり、それがどのように変化していったかを研究したりする学問です。結局、これを専門にはしませんでしたが、複数の言語を比較して何かを明らかにしたいという思いが今でも形を変えて私の中に続いていると感じています。比較言語学以外にも言語学をかじっているうちに興味が深まり、言語学科のある大学に進学しました。当時、学科への分属は大学三年生からでした。他にも興味のある学問が幾つかありましたが、色々と勉強しているうちに、言語学科に進む意思が固まっていきました。

さまざまな言語学との出会い

大学で言語学を勉強しているうちに、最も興味を持ったのは言語類型論でした。言語類型論とは、さまざまな言語を、それらの間に見られる類似点や相違点にもとづいて分類し、そこから言語の一般的な法則性を探り出そうとする学問です。しかし、卒業論文の準備を始めなければならない段階で、言語類型論をテーマにすることはあきらめることにしました。というのも言語類型論をするには、世界中の言語のデータを集める必要がありますが、それは学部学生の力を越えていたからです。結局、フランス語について卒業論文を書き、少し悩んだ時もありましたが、それなりの考えもあってフランス語を対象とする言語学を続けていきました。しかし、言語類型論への興味は、その後もずっと続き、現在の研究につながっていきました。

私が学生だった頃、言語学においては生成文法が非常に盛んで、主流派と言って良い状況でした。私もとても面白いと思って勉強しましたが、違和感があり、納得できないものがありました。そんな時に認知言語学を知りました。認知言語学は、言語を人間の一般的な認知能力に動機づけられたものとする考え方にもとづいています。私は、そのような考え方に強いリアリティーを感じました。もっとも、その後も考えるところがあり、それまでやってきた方法論での研究を続けていきました。

しかし、数年前から、認知言語学の道具立てを取り入れることを始めました。そして、その方向で研究していく過程で、複数の言語を対照するということもするようになってきました。これは、私が比較言語学や言語類型論に関心を持っていることとつながっていると思います。

複数の言語を対照して分かったこと

研究内容を説明する平塚教授

研究内容を説明する平塚教授

同じことがらでも、言語によって表現のしかたが違います。近年は、主に、そのような表現を対照することをしています。複数の言語の言い方を見比べると、個々の言語だけを見ていても分からないことが見えてくるのが、そのようなことをするメリットだと思います。そこから、分かってきたことを紹介します。

(1)言語はものごとを表すのに、その一部分しか記号化しない
 けが人を担架で運ぶことを英語ではcarry an injured person on a stretcherと言います。日本語では、「担架で」と「で」を用いて、担架を道具として表現していますが、英語ではon a stretcherというように場所前置詞のonを用いています。なぜ、このように異なる言い方をするのでしょうか。日本語で「けが人を担架で運ぶ」と言っても、英語でcarry an injured person on a stretcherと言っても、普通、私たちは、けが人を担架に乗せて、その担架を持ってけが人を運んでいるところをイメージします。これが、話し手が言いたいことでしょう。しかし、普通は、このような細かいことまで言わずに、「けが人を担架で運んだ」とか、carry an injured person on a stretcherと言ってすませています。日本語の「で」は、担架を道具として用いることを表しています。しかし、担架の使用の仕方、例えばけが人を担架に乗せることは明示的には表現されていません。それは、聞き手が常識で補っているのです。他方、英語のonは、けが人を担架に乗せることを表しています。しかし、それがけが人を運ぶための手段であることは表現されていません。これも聞き手が常識で補っているのです。つまり、日本語の「で」も、英語のonも、事態の一側面しか記号化していないのです。

人間は伝えたいことを言葉で表す時、その全てを記号化していません。というよりも、全てを記号化することはそもそも不可能なのです。だから、ものごとのある側面だけを記号化し、後は聞き手に補ってもらうのです。これは、人間にはもともと部分から全体を補う能力があるおかげでできることです。しかし、ものごとのどの側面を記号化するかは、必ずしも決まっていません。そのため、言語によってどの側面を記号化するかが異なるということが起きます。そうすると、同じことなのに、言語によって言い方が違ってくるわけです。

(2)人間はものごとをありのままに見ているのではない
 電灯がぶら下がっているという同じ状況を見て、「天井から電灯がぶら下がっている」とも、「天井に電灯がぶら下がっている」とも言える場合があります。「天井から」と言う場合には、ぶら下がっているという事態の中に鉛直方向の現実には存在しない動きを見ており、天井はその動きの起点として表されています。他方、「天井に」という場合には、電灯が落ちないように天井にくっついていると見ていて、天井はくっついている場所として表されています。

面白いことに、この同じ状況を言うのに、「天井から」というように天井を起点として表す言い方が優勢な言語もあれば、「天井に」に似た表現で天井をくっついている場所として表す言い方が優勢な言語もあります。これは、ぶら下がっている電灯を見ても、両方の捉え方が可能だからです。どちらの捉え方でなければならないということは決まっていません。そのため、言語によって、どの言い方をどれだけ使うかが違うのです。

人間がものごとを見る時、そのものごとをありのままに見ているわけではありません。現実には存在しない動きをそこに見るなど、何らかの解釈をして、ものごとをとらえているのです。そして、そのようなとらえ方はひとつではなく、複数の可能性があり、それらのとらえ方から異なる言い方が生じるのです。どの言い方を用いるかは決まっていません。そのため、同じものごとであっても、言語によって異なる言い方が用いられるのです。

(3)一見意外な言い方が色々な言語に共通して見られることがある
 日本語を母語とする者には一見意外に思われる表現が、多くの言語に共通して見られることがあります。例えば、試験を受けることを多くの言語で「試験を与える」と言います。また、電気器具をつけることを表すのに「明かりを開く」「テレビを開く」「ラジオを開く」などのように言う言語もたくさんあります。そういった言語のひとつを学んだり、研究したりしている日本語母語話者は、「この言語は変わった言い方をするなあ」とか、「この言語に特有の言い方なんだろう」と思っているかもしれません。でも、調べてみると、同じ言い方をする言語がたくさんあるのです。

同じ言い方が多くの言語で見られる場合、共通の祖先にあたる言語から受け継いでいる可能性があります。あるいは、借用によって広まったという可能性もあります。しかし、そのような考え方では説明しきれない場合もあります。その場合には、複数の言語で独立に同じ言い方が生じたと考えられます。そうだとすると、その言い方が日本語母語話者にとって一見意外なものであっても、実は人類に共通した心のメカニズムから生み出されたものであると考えられます。

このような表現を研究することにより、日本語母語話者にとって一見意外な言い方であっても、実はむしろ自然な表現であることを明らかにし、また、言語表現を生み出す人間の心のメカニズムを追求することができるのです。

言語の多様性が教えてくれること

インタビュー風景

ものの見方はひとつではありません。しかし、人は自分のものの見方以外の見方があることになかなか気がつきません。それどころか、自分がものをある特定の見方で見ているということにすら無自覚です。外国語を学ぶと、そのことに気づくことができます。例えば、皆さんも、中学校で英語では兄と弟を区別せずにbrotherと言うと習って、驚いたことがあるのではないでしょうか。こうして、兄と弟を区別するのは当たり前だと思っていたのが、必ずしもそうではないということを知ることができるのです。言語の違いが、ものの見方が色々あることを教えてくれます。また、自分がある特定の見方でものを見ていることに気づかせてくれ、それを相対化することができるのです。

人は自分と異なるものの見方にはなかなか気がつきません。それどころか、ものごとが、自分に見えているのと同じように、他の人にも見えていると思い込んでいます。このために、話がうまく通じなかったり、誤解が生じたりということがよく起きているのではないかと思います。言語の多様性とそれを生み出すメカニズムを知ることが、そのような問題を乗り越えていくための参考になるのではないかと思います。

研究者を目指す方に

研究者になりたい方にアドバイスになるようなことは、その人その人によって違ってくると思います。しかし、比較的多くの人に言えるかもしれないのは、気になる問題があったら、その時にうまく解決できなくても、それを忘れないでいることかと思います。業績を積んでいかないといけませんから、論文を書ける研究をする必要があります。しかし、他の問題に取り組んでいても、頭のどこかでその問題を気にし続けていると、ある時、ふと、解法が出てくることがあります。場合によっては、関係がないと思いながらやっていた研究の中から解法が出てくることもあります。しかし、その問題を忘れてしまっては、解法が出てくることはないし、出てきても気がつきません。ですから、気になる問題があったら、すぐに解決できなくても、問題意識を持ち続けることが大事だと思います。

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