研究紹介

外国語学研究科 言語学専攻 青木正博教授 インタビュー

「言語の多様性の中で研究する言語を捉えよう」

言語類型論との出会い

私はロシア語の否定生格、所有構文などのいろいろな文法現象を言語類型論の観点から研究しています。言語類型論とは、世界の言語を語順、格標示などの文法的特徴に基づいて分類し、言語の多様性や普遍性を究明しようとする言語学の分野です。たとえば語順を例にとるならば、世界の言語は、主語(S)、動詞(V)、目的語(O)の論理的可能な6つの語順のタイプ:(1) SOV、(2) SVO、(3) VSO、(4) VOS、(5) OVS、(6) OSV のうちのどれかに属します。また、主語を文頭に置く (1) と (2) を基本語順とする言語が圧倒的に多く、目的語を文頭に置く (5) と (6) を基本語順とする言語は非常に少ないことが知られています。ちなみに日本語は (1) タイプであり、英語とロシア語は (2) タイプです。さらに、主語を目的語の前に置く (1) 〜 (3) タイプが、ある調査では世界の言語の 96% を占め、言語には主語を目的語の前に置く普遍的な傾向があるとされています。

私は大学は数学科に入学しましたが、第2外国語で習ったロシア語に興味を持ち、ロシア語を勉強するようになりました。最初はロシア語がだんだん読めるようになるのが楽しかったのですが、大学院進学を考えたとき、言語の資料を分析し、そこから規則性を見出す文法研究が自分には向いていると思い、ロシア語学を専攻することに決めました。言語学科の大学院に入学し、博士課程に進学したころ、ロシア語の否定生格という変わった現象に取り組むうちに、言語類型論の観点からこの現象を分析しようと考えました。

ロシア語の否定生格の現象を分裂という観点から分析

1.ロシア語の否定生格の現象

ロシア語では肯定文において、自動詞文の主語(S)と他動詞文の主語(A)は主格で、他動詞文の直接目的語(O)は対格で標示されます。(S=A≠O)

    1) Сестра(主) была в школе.“妹は学校にいた” (自動詞文)
    2) Я(主) читал книгу(対).“私は本を読んでいた” (他動詞文)

ところが、ロシア語の 1) と 2) の文の動詞が否定されると、自動詞文の主語と他動詞文の主語が主格のままに、他動詞文の直接目的語が対格のままに保たれる場合と(S=A≠O)、

    3) Сестра(主) не была в школе.“妹は学校に行かなかった”
    4) Я(主) не читал книгу(対).“私はその本を読まなかった”

自動詞文の主語と他動詞文の直接目的語が生格になる場合があります。(S=O≠A)

    5) Сестры(生) не было в школе.“妹は学校にいなかった”
    6) Я(主) не читал книги(生).“私は本を読まなかった”

動詞が否定された場合に、3) と 4) の例のように、自動詞文の主語と他動詞文の直接目的語の格がそのまま保たれたり、5) と 6) の例のように生格になったりする現象を否定生格の現象と呼びます。

2.対格言語と能格言語

書籍

国際スラヴィスト会議の論集に掲載された青木教授の論文

ところで、格標示のような文法現象において、1) と 2)、あるいは 3) と 4) の例のように、自動詞文の主語(S)と他動詞文の主語(A)を同様に扱い(この場合は主格になっている)、他動詞文の直接目的語(O)を別に扱う(この場合は対格になっている)とき、対格性が現れていると言います。(S=A≠O) 日本語、英語やロシア語など我々がふつう知っている言語ではSとAとOの関係は基本的に対格性に基づいており、このような言語は対格言語と呼ばれます。

ここで、5) と 6) の例を見てみますと、否定文において自動詞文の主語(S)と他動詞文の直接目的語(O)がともに生格に、他動詞文の主語(A)がそれと異なる主格になっているので(S=O≠A)、非常に奇妙な現象に思われるかもしれません。しかしながら、世界の言語を見渡してみますと、格標示において、自動詞文の主語と他動詞文の直接目的語を同様に扱い、他動詞文の主語を別に扱う言語が存在することが分かります。たとえば、以下のグルジア語の例を見てみましょう。

    9) Student-i mivida“学生が行った”
    10) Student-ma ceril-i dacera“学生が手紙を書いた”
    (Whaley, Lindsay J. Introduction to typology. 1997. p.163)

9) の自動詞文の主語と10) の他動詞文の直接目的語がともに格の接尾辞 -i で標示され、10) の他動詞文の主語はそれとは異なる接尾辞 -ma で標示されています。この例のように、自動詞文の主語(S)と他動詞文の直接目的語(O)を同様に扱い、他動詞文の主語(A)を別に扱うとき、能格性が現れていると言い(S=O≠A)、SとAとOの関係が基本的に能格性に基づいている言語を能格言語といいます。能格言語にはグルジア語、バスク語、エスキモー語などがあり、ある調査では能格言語は世界の言語の4分の1を占めるとされています。

3.分裂という観点からの分析

したがって、3) と 4)、5) と 6) の例からロシア語では否定文の格標示において対格性と能格性が現れているといえます。このように、言語のあるレベルで対格性と能格性が混在することを分裂といいます。

ここで、名詞句の意味がロシア語の否定文の格標示に与える影響を見てみますと、名詞句が指す対象に人間>具体物>抽象物という「個別性の階層」があり、階層の上の対象が選ばれるほど、自動詞文の主語が主格に、他動詞文の直接目的語が対格になることが多く、対格性が現れやすいことが分かります。

    11) Мальчик(主) не пришел.“少年は来なかった”
    12) Он(主) не видел Ольгу(対).“彼はオリガを見なかった”

11) では自動詞文の主語に人間のмальчик“少年”が、12) では他動詞文の直接目的語に人間のОльга“オリガ”が使われて、対格性(S=A≠O)が現れています。

    13) Ответа(生) не пришло.“返事は来なかった”
    14) Он(主) не видел фильма(生).“彼は映画を見なかった”

一方13) では自動詞文の主語に抽象物のответ“返事”が、14) では他動詞文の直接目的語に抽象物のфильм“映画”が使われて、能格性(S=O≠A)が現れています。したがって、11) と 12)、13) と 14) の例から名詞句が指す対象の個別性の違いにより分裂が引き起こされていることになります。

さらに調べてみますと、「自動詞の活動性」と「他動詞の他動性」、さらには「否定の強さ」も、ロシア語の否定生格の現象における分裂を引き起こす要因であることが分かります。したがって、ロシア語の否定生格の現象は、分裂に4つの要因が影響を与えるという珍しい現象であるといえます。

4.言語類型論の観点からの分析の有意義性

格標示の観点からは言語は対格言語、能格言語などに分類されますが、ロシア語の否定生格の現象のように、対格言語の中に能格言語の特徴である能格性が現れることがあります。このような言語の多様性の観点から自分の研究する言語を分析することは言語研究にとって有意義なことです。ロシア語だけを見ていたらよく分からない否定生格の現象を、言語類型論の観点から分析することによって、より深く理解することができます。

この研究は日本言語学会誌『言語研究』第110号に、論文「ロシア語の否定生格の現象における格標示」として掲載されました。また私は、5年ごとに開催されるスラヴの言語・文化の最大の会議である国際スラヴィスト会議の日本代表報告者に選考され、1998年にポーランドのクラクフで「ロシア語における分裂格標示(否定生格を例にして)」という題目で発表する機会を得ました。

大学院進学を目指すみなさんへ

インタビュー風景

言語の研究方法はいろいろありますが、言語資料を大切にした研究方法が望ましいと思います。文法に関する研究であれば、あるテーマ(たとえば、語順や否定生格)が決まりましたら、そのテーマに関する例を文学作品などからなるべく多く集めます。研究テーマに関する従来の研究を読み、自分が集めた資料をもとに、そこで主張されていることが正しいかどうか検討します。検討結果を参考にしながら、自分で集めた資料を慎重に分析して問題のテーマに関する規則性(たとえば、否定生格の現象であれば、名詞句が指す対象の個別性が高いほど主格や対格が使われやすい)を探しだします。確実な資料に基づいた分析であれば、誰もがあなたの出した結論に納得します。研究のさらなる発展としては、そのような規則性が生じた原因を探ることがありますが、その際は規則性を説明する理論のようなものがあればよいと思います。

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