研究紹介

経済学研究科 経済学専攻 齊藤健太郎教授 インタビュー

「経済史と歴史研究の未来に向けて」

技能と労働など日英の労働経済の歴史を研究

イギリスと日本の労働経済に関して、主に三つのテーマを中心に歴史的な研究をしてきました。第一は、技能と労働に関する研究です。科学や技術が発展すると、人々の生活は快適になる一方で、それに関わる技能とその保持者は、機械に置き換えられることがあります。最近、注目されているAIの発展などもそうですが、このようなことは労働市場を変化させます。イギリスは最初に「産業革命」を経験した国なので、熟練労働者や徒弟の労働市場や労働組織にいち早くこのような影響が現れたことが知られています。――とは言っても、イギリスでは熟練労働者の影響力は簡単には消え去らず、長く20世紀半ば以後までも残存し、時に、「英国病」といわれる経済停滞の原因の一つにも数えられました。それは何故なのか?学生の頃、これを研究テーマに選んで、今もその核心にある技能と労働市場について考えています。第二は、市場統合に関する研究です。産業化が進行し、経済活動が活発になると、地域ごとに異なっていた市場価格、つまりモノやサービスの価格差は収束し、同じような変動をするようになります。経済学や経済史学では、これを市場統合の指標としています。労働市場では賃金の変化を対象にしますが、その統計的な分析を行いながら、近代化の時期の熟練労働者について、日本では大工、イギリスでは機械工をケーススタディにして研究しています。それぞれ統合が進んだことが示される一方で、その過程には様々な特徴があったことがわかってきました。第三は、このような歴史研究への関心から派生した現代の問題です。産業化や近代化の進展は、人々の生活水準を一般的に向上させましたが、社会の一方に富裕者を、他方に貧困者を生み出しています。賃金に関する歴史研究の現代版でもある格差社会問題への関心から、現代のイギリスの格差問題を、若者に対する技能教育を一つの中心にして、整理しています。昨年のイギリスのEU離脱も、多面的な意味での格差を背景にしており、現状のみに注目することが多いですが、100年くらいのタイムスパンの中で論じたほうがいいのではないかと思っています。

本棚

さて、家族環境もあって歴史には早くから関心を持っていましたが、研究を始めることになったきっかけとしては、大学時代のゼミの指導教授によるところが大きいと思います。イギリスの社会経済史を研究するゼミで、先生ご自身がイギリスで博士号を取得されていて、学生も英語の学術論文をどんどん読むという環境でした。歴史研究は、研究対象にしている事柄が起きた後に刊行された二次資料ではなく、その時代・場所にできるだけ近いところで作成された一次資料を用いて行わなければならないと徹底的に教えられましたから、卒業論文作成時も当時の資料や議会文書を読むよう指導されました。学生の頃に理解していたとはとても思われないのですが、図書館のいちばん地下の収蔵室に降りて19世紀の議会文書を手に取りながら、先生が「これが面白いと思うようになったら、もうおしまいだよ」と嬉しそうに話された時のことを昨日のことのように覚えています。そんな指導や環境があって、修士課程に進むことに決めました。当時は、1990年代はじめで、まさに「バブル時代」の真只中、それが「はじける」直前でした。

大学院に進み、修士論文ではイギリスの世紀転換期の労使関係を取り上げ、1992年に、一次資料を探しにはじめて渡英しました。資料館や大学を訪ねて資料を集めては、毎日ごとに宿を探すという旅でした。そんなこんなで、修士課程から博士課程に進むのにはさして葛藤もありませんでしたが、大学院の先輩方はほとんど、博士論文を書くために留学するという環境だったので、実際にどのように留学を開始するかではいろいろ悩みがありました。幸いにロータリー・クラブの奨学生に選ばれ、イギリス中部のレスター大学に留学したのが1994年の秋でした。レスターでは、ノッティンガムのレース産業を題材に熟練工労働組合についてMPhilという学位を取得しました。その後、96年にひと月ほど日本に帰りましたが、景気の失速、神戸の震災、オウムのテロ攻撃があり、2年弱の間に日本の空気が一変したことに大きな衝撃を受けたことを覚えています。

さて、研究の方向は見えてきましたから博士課程に進むことにしました。もちろん、それからどうなるのかということや、いろいろ困難がありましたが、ブリティシュ・カウンシルの奨学金を得ることができて、ケンブリッジ大学で博士論文を書くことになりました。ほぼ5年間かけて博士論文を仕上げ、帰国したのは2001年です。しばらくは定職もなく、大学院のゼミに参加したり、幾つかの大学に非常勤で行ったり、映画監督やジャズの呼び屋とかと専門と全く関係ない話をしたりして、ブラブラしていました。そのうちに、大きな科研費のプロジェクトに研究員として参加することになり、市場統合と日本の熟練労働者の研究を始めることになりました。このプロジェクトは日本の近代化過程のなかでの「危機管理」に関する大規模なもので、その中で、公衆衛生や医療、地理、農業史、自然災害などの幅広い領域の研究者と仕事をすることになり、また方法論的にも新しい領域に進むことができました。海外に研究報告に行く機会も増え、現在の調査・学会参加のスタイルはこの頃の経験の上に立っています。その頃、京都産業大学の経済学部で西洋経済史の担当者を募集していることを知り、応募し、今に至っています。

真に探求・熟考する対象は過去の中にある

イギリスの歴史家G.R.エルトンは、「未来は暗く、現在は厄介だ。過去、死んだものたち、過ぎ去ったものたちのことだけが、熟考に耐える」と、『歴史の実践 The Practice of History (1967)』の冒頭で述べています。私たちは未来を明るくしなければなりませんし、刹那、現在を楽しむことも大切でしょう。しかし、真に探求・熟考 contemplation する対象は常に過去の中にあり、それは歴史研究でしかありえないと言い切ることには凄味があります。私たちは現在を生きていますが、いま進行していることの多くを私たちは知りません。現在が明らかになるのはそれが過ぎ去った ――どのくらいの時間かという問題はありますが―― 後なのです。此処に歴史研究の「魅力」と「意義」があるということでしょうか。

もちろん、この他にも歴史を研究する「意義」をいろいろ主張することはできますが、結局のところ、多くの歴史研究者たちが研究を続けているのは、資料を実際に触る面白さがあるからだと思います。長い時を経て、はじめて明らかになることを見つけることはとてもエキサイティングな経験です。けれども、日本の学生の多くが、歴史は、自分とは関係ない、操作不可能な過去について学ぶ「道楽」であり、古くさい、現在を生きるのに役に立たないことと思っているようなのは残念なことです。欧米の大学の多くには歴史学部 Faculty of History があり、非常に分厚い人文・社会科学の伝統があります。自然科学の研究もこうした人文・社会科学の研究に支えられて存在することを人々はよく知っています。

さて、そのような歴史研究の「未来」として以下のように考えています。まず、私のテーマ自体の、技能と労働市場に関しては、現在は非常にスリリングな時代です。AIや3次元プリンターなどの開発によって、労働過程は大きな変化を受けつつあります。まさに進行している歴史を目前にしながら、その研究をするのは興味深いことです。もうひとつは、「歴史研究そのもの」の未来です。私は、歴史研究に未来がない国に未来はない、と考えています。歴史研究は社会を検証し、向上させるために不可欠です。そういう意味で、最近のニュースには落胆することが多いですね。イギリスやアメリカ、フランス…と多くの国々には立派で、よく整理された公文書館があります。社会的な組織の文書の多くは専門の資料館に収められますし、公文書は法律で管理と公開が決められています。欧米社会はそのような基盤の上にあり、それは日本の人々にもっと紹介されねばならないと考えています。

研究にはストイックで意地をもつことも必要

インタビュー風景

自身の研究の経緯から、留学について少し述べます。留学には準備が必要です。特に、制度を使う場合は、勉強を始める半年や1年前に選抜があり、語学など応募前から準備が必要です。また、奨学金などは簡単には受からないので、いくつも応募することが必要ですし、一つ合格するのに、その数倍もの応募をするのが普通です。研究を続けていくのは簡単ではありません。ストイックであることも必要ですし、時に意地をもつことも大事だと思います。

さて、現在の学生諸君は繊細で、野性味に欠けるというようなことがよく言われますが、私は否定的に考えていません。多くの学生は、常識的である一方で、批判精神もしっかり持っていると思います。情報技術が飛躍的に進歩したおかげで、私たちの頃とは比較できないほどの情報量とネットワークを使えることに大きな可能性があると思っています。ただし、社会の先行きが見えないためか、日本人特有の横並び主義のためか、失敗やコースを外れることを怖がる傾向があると感じることがあります。世界には、意欲的で、挑戦的な同年代の若者がたくさんいます。見聞を広げ、しっかり実力をつけながら、より自由に未来を広げてほしいと思っています。

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