オルガネラゲノム ※1 の遺伝子組換えを究める

環境に優しい次世代型組換え作物の育成にむけて

葉緑体の遺伝子組換えには、通常の核の遺伝子組換えにはないメリットがいくつもあることがわかっています※2
20 ~ 40μm(マイクロメートル※3)ほどの植物細胞の中にある、さらに小さなオルガネラゲノムに有用遺伝子を届かせるには、腕と努力と、少しの運が必要ですが※4、「オルガネラゲノムの遺伝子組換え」という最先端分野で、タバコであれば自由に組換えができる世界的にも稀少な技術力をもつ寺地徹先生に、現在の研究と今後の展望についてお話いただきました。
生命資源環境学科 寺地徹教授
生命資源環境学科
寺地 徹教授


北海道から生物の研究者をめざして京都大学農学部へ。父親が高校の生物の先生だったこともあって、昔から自然や生物に興味をもっていた。研究室では、コムギを中心とした植物の遺伝と進化について研究。自然雑種と倍数化を特徴とする、コムギとその仲間の母系の祖先を明らかにするため、母性遺伝する葉緑体のDNAを調べて以来、オルガネラゲノムと関わり続けている。ここ10年ほどは“葉緑体の遺伝子組換え”に取り組んできた。タバコであれば自由に組換えができる技術力は世界的にも稀少。北海道函館中部高校OB。
(写真左上)研究に使用する植物を栽培するための温室内。左は葉緑体の遺伝子組換えのタバコ。キャベツなどの葉もの野菜とは異なり、葉切片からも芽がたくさん出るなど、分化能力が高く使いやすいため、基礎研究はタバコの葉で行われている。

葉緑体の遺伝子組換えで社会に役立つ作物をつくる

オルガネラと呼ばれる細胞内小器官の中で、独自の遺伝子をもつのは葉緑体とミトコンドリアだけです。通常の遺伝子組換えは、核の遺伝子を対象としますが、私はこのオルガネラゲノムを研究対象としています。今は主に葉緑体の遺伝子組換えをいくつかの目標をもって行っています。
たとえば現在、世界で約20億人が苦しむ鉄分不足を解消すべく、鉄分を多く含んだ野菜を作る研究をしています。鉄を細胞内に閉じ込める働きをするフェリチンというタンパク質に着目して、葉緑体に鉄をため込む仕組みを作りました。ダイズ由来の遺伝子をタバコの葉緑体ゲノムへ組み込み、タバコの葉の鉄分含有量を通常の3倍にすることに成功しています。
ストレスに強い植物作りの研究も進めています。植物は、周りの環境からストレスを受けると、有害な活性酸素を、主に葉緑体で発生させます。そこで、植物が元来もっている活性酸素を除去するAPX(アスコルビン酸ペルオキシダーゼ)など5つの酵素の働きをよくしようと考えました。すでに、4つの酵素遺伝子を葉緑体ゲノムに組み入れることに成功していて、APXの場合、酵素活性は30倍に高まっています。

「植物工場」で医薬品成分を生産

医療分野での研究も進んでいます。医薬品の材料となるタンパク質は、精製する場合はもちろん、動物の体液中で生産させる方法でも、高度な技術が求められ、かなりのコストがかかります。しかし、葉緑体内で大量生産ができれば、いわば「植物工場」のように医薬品成分の生産が可能ですから、コストは下がり、途上国でも取り入れやすくなるはずです。実際に、抗血液凝固剤のヒルジン※5というタンパク質を作る遺伝子を葉緑体に組み込んで大量生産して、医薬品の精製が可能か検討しています。 今後は、抗原を食べることで免疫力をつける「食べるワクチン」への応用にもつなげたいと思っています。これは人だけでなく、鳥インフルエンザなど、動物を介して感染するような病気にも有効かもしれません。広範囲の動物への予防接種は困難ですが、食べるワクチンであればより簡単だからです。ワクチン入りの飼料ができる日も、そう遠くないかもしれません。

キーワードは「人類の役に立つ」今後の課題とミトコンドリアの遺伝子組換え

ただ、現在はまだタバコを使った基礎研究の段階です。葉緑体の遺伝子組換えにおける1番の問題点でもありますが、これらを実際に「人類の役に立つ」ように、他の作物に広く応用する手法を開発することが今後の課題です。
また、世界的にも成功例がない植物のミトコンドリアゲノムを使った遺伝子組換えを成功させたいと考えています。私が学生の頃は想像もしていなかった葉緑体の遺伝子組換えが可能になったように、現在は小さすぎて技術的に大変むずかしいミトコンドリアの遺伝子組換えも、いつかは可能になるはずです。まだまだ未開拓の部分も多いバイオの分野ですが、だからこそ、予期せぬ研究成果が楽しみでもあります。

※1
オルガネラは細胞内に存在する一定の構造と特定の機能をもつ構造物(細胞小器官)の総称。核、葉緑体、ミトコンドリア、小胞体、ゴルジ体など。
※2
母性遺伝のため、組換えた遺伝子が花粉を通じて他の作物に広がるおそれがほとんどない。葉緑体ゲノムは1つの細胞内に約1万個もあるため、組換えた遺伝子から産物を大量につくることができ、複数の遺伝子を列車のように連ねて入れることもできる。相同組換えの原理で同じ組換え植物を何度も作ることができるのもメリット。ジーンサイレンシングという核の遺伝子組換えでよく起きる問題も葉緑体ではない。
※3
1μmは1mmの1000分の1。
※4
組換えたい有用遺伝子は遺伝子銃(右上写真)によって直接細胞内にうち込まれる。この「パーティクルガン法」という実験方法では、有用遺伝子を含むプラスミドDNAを、非常に小さな金の粒子にまぶして、ヘリウムガスの圧力によって音速に近いスピードでタバコの葉にうち込む。強すぎると細胞が壊れ、弱すぎると奥まで届かない。微妙な調整が難しく、葉緑体ゲノムの中に有用遺伝子を効率よく送り込めるまでに、5年を要したとい う。
※5
ヒルが血を固まらせずに動物や人の血を吸うことで知られているタンパク質。
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