前田 知美 さん

略歴

大阪府立市岡高等学校卒業
1992 外国語学部言語学科イタリア語専修卒業
1996 フィレンツェ大学付属Centro Cultura Per Stranieri の語学コースを一年間受講後、フィレンツェに在住。
2007 京都府フィレンツェ現地駐在員。
現在 サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局(Officina Profumo-Farmaceutica di Santa Maria Novella)フィレンツェ本社社員として勤務。
(2017年10月現在)

海外への憧れ

外国に憧れていた母の影響で、小さい頃から外国語を話せるようになって海外へ行ってみたいと思っていた。学校では理系はさっぱり駄目だったが、国語や英語が得意科目で勉強するのが苦にならなかった。中学の頃英語の先生が、「外国語が話せるということよりも、その言葉で何を話すか、という事の方が大事なのよ」とおっしゃられ、はっと目が覚めた気がした事を今でもよく覚えている。この言葉は後に海外へ行った時に、身に染みて実感することになる。 高校時代にしっかり英語の能力を身につけてアメリカの大学に留学しようと密かに野心を抱いていたが、父親にそんなに危ない所は駄目だときっぱり反対され、日本の大学の外国語学部を受験することにした。英語は中学、高校で沢山勉強したからもういいや、と思い、違う言語を学びたいと考えイタリア語を選んだ。小さい頃から、家の本棚に並んでいた世界の国の写真集のページをめくって見ていた中で、とりわけイタリアの国の写真が好きだったからだ。父親にイタリア語学科を受験する、と告げると、「イタリア語なんか何の役にも立てへんぞ、考え直せ」と言われ、担任の先生に相談すると、「無駄なんか無いから好きなことやったらよろしい」と力強く即答され、瞬時に迷いが晴れた。得意の国語と英語の推薦入学受験で楽々、京都産業大学外国語学部合格。当時、イタリア語を専攻する学生はごく少数だった。

イタリアが好き

一回生の時、斎藤 泰弘先生のテンポの速い授業でみっちりと厳しくイタリア語の文法を叩き込まれ、阿部 史郎先生からは、「はやくイタリアへ一度行ってきなさい」と励まされて、二回生の夏休みに初めてのイタリア渡航を果たした。イタリアに関連することは何にでも興味が沸いて楽しかった。何よりも学んだイタリア語が実践できることが喜びだった。授業の合間には京都のイタリアレストランでアルバイトもした。モーダイタリアなど、大阪で開催される見本市で、学生で片言でもイタリア語通訳のアルバイトをさせてくれると聞くと、喜んで出かけて行った。 四回生になって周りが就職活動を始めてからも、自分は就職しないことに決めて、大学卒業後はお金を貯めて長期のイタリア留学を実現するつもりだった。今振り返ると無謀だったのかもしれないという気がちょっとするが、当時は何の迷いもなかった。 卒業後、好きな映画がただで観れるという理由から映画館でアルバイトしたり、イタリアレストランや、曲がりなりにも通訳のアルバイトで常にイタリア語に触れながら留学できる日を夢見ていた。 1996年に一年間イタリアに滞在するつもりでフィレンツェ大学付属の語学コースを受講したが、その後そのままフィレンツェに在住、今日に至る。

学生の皆さまへ

今回、「卒業生からのメッセージ」投稿の依頼を受け、在学生の皆さまの励みになるようなメッセージをとのことで、さほど輝かしい経歴を持つ訳ではない私は考え込んだ。 色々と考えてみて、皆さんにお伝えしたいことの一つは、「無駄なことは何も無いから、迷うことなく好きなことをやれば良い」ということだ。この20年間を振り返ってみると、私は常に好きなことばかりやってきた。その積み重なりが今の自分であり、その今の自分に結構満足している。好きなことをしていく中で、色んな人達と出会い、学び、チャンスを与えてもらい、自分を成長させる機会に恵まれてきた。 もう一つは、「目の前に現れた機会は思いきって引き受ける」ということだ。フィレンツェに在住しているために、私は、日本では巡り合うことがなかっただろうと思える様々な機会に恵まれてきた。自分の能力を超えるような仕事の依頼をもらったり、日本では滅多にお目にかかることが叶わない方々と話ができる機会を与えられた。皆さんに自信をもって言えることは、「やってみると案外何でもできる」ということだ。やったことがないからできない、と自分で結構思い込んでいることがあるものだ。その機会が自分の前に現れたとしたら、それは大抵できることだ。思い切ってやってみることをお勧めします。

最後に、皆さまの未来を祝して。

Quando andavo a scuola, mi chiesero cosa volessi diventare da grande. Risposi “felice”. Mi dissero che non avevo capito l’esercizio e io risposi che loro non avevano capito la vita. (John Lennon)
PAGE TOP