東岡 祐子さん

略歴

2000年京都産業大学外国語学部仏語学科卒業
2000年~2005年7月豪州滞在経験後、数社で職務経験を得る
2005年7月~2008年6月ティーネットジャパン(株)入社-三菱電機(株)出向
2008年7月~2009年9月英国ロンドン大学にてMBA専攻
2008年7月~現在 三菱電機(株)英国支店契約社員
2010年2月~三菱電機(株)英国支店にて正社員として勤務予定

日本での経験と留学の転機

私はフランス語学科出身ですが、卒業後丁度10年経った今、イギリスでの就職が決まっています。2000年に卒業した後、オーストラリアに在住し、帰国後いくつか就職経験を経てエンジニアリング会社に入社-三菱電機(株)に出向-という勤務形態で3年間働きました。海外設計課に所属し、ビジネス文書作成、翻訳、外国人来客者のアレンジ、工場案内、プレゼンなど、英語に関わる仕事全般を任せて頂きました。全てにおいて技術用語が関わるのでエンジニアから機器の事や案件内容など事細かに助言してもらいました。なかなかスパルタな部分もありましたが、就職活動していた頃に夢見ていた業務内容だったのでとてもやりがいを感じていました。

そんな日々を重ねるにつれ、一方的に誰かに依頼された仕事をただこなすだけではなく、自分の意思や判断で仕事をしたい、と思い始めるようになりました。と言っても私は三菱の正社員ではなく、別会社からの出向でしたのでどうする事もできません。このまま続けても10年後も同じ状態であろう自分をどう変えるべきか、と考えた時に英語以外のスキルを身に付ける事の必要性に気が付きました。三菱という大企業に携わる中、「会社は人事をどのように扱うべきか、外国企業と同じフィールドで存続していくにはどのような経営をするべきなのか」などといった事に興味を持ち始めていたので、マネジメントを勉強する事を決意したのです。英国留学に決めたのは、英語の本場に身を置きつつ経営学を学べる事と、卒業後は三菱の英国支店で就職、という条件を現地の上司から了解を得た事です。

人生で最も過酷な経験であった留学生活

約3年間の就業にピリオドを打ち、英国でMBA取得に向け勉強の日々が始まりました。海外の大学(院)はハードである、と聞いてましたが、正にその通りです。特にMBAは一番ハードなコースでしたので、授業は毎日10時から17時までで1時間の休憩中に急いで寮へ帰り昼食を食べ、授業後はまた1時間で夕食を食べた後、図書館が閉まる23時まで翌日の予習をする日々でした。土日やホリデー中も勉強です。クラスメイトはネイティブは勿論、世界各国からの生徒が集まり英語もネイティブ並。日本では「英語がうまいね」なんて感心されてましたが私の英語力なんて彼らと比べると底の方でした。一番苦労したのは授業中の発言力です。ただ授業を聞くだけの日本式で育ったものですから、なかなか発言の勇気が無かったり、考えてる内に話題が変わってしまったり。フラストレーションが溜まる毎日でした。プレゼンは試験も含め即興でさせられたり、グループワークも非常に多くこなさなければなりません。国籍が違うもの同士なのでぶつかる事もしょっちゅうです。そんな状況でもなんとか全プログラムを終え、いよいよ最終試験に突入しました。試験1ヶ月前はクラスメイトと勉強会を開き、図書館で討論の日々でした。2週間で8教科をこなさなければならないので毎日3時間通しで試験があり、腕が痛くなる人、朝まで寝ずに勉強する人、途中で投げ出す人もいた程です。そんな過酷な状況を乗り越えられたのも、自分の目標をしっかりと持っていたからだと思います。もうダメかもと思った時も、三菱英国支店の支店長初め、スタッフの顔が浮かび、彼らと一緒に仕事がしたいという強い思いが大きな支えとなりました。今は小さい頃からの夢であった海外就職が叶う事に対する喜びで一杯です。 次回の就職先である三菱電機英国支店ではフランスへの市場拡大の為、業務出張があるとの事で再びフランス語を勉強しようかと思っています。卒業後十年近く経った今でも仏語テキストを開けばすんなりと頭に入ってくるのは、やはり京都産業大学で4年間培ったものがきちんと活きているのだな、と実感します。また新たな目標に向かって道を切り開いていきたいと思います。

京都産業大学生の皆様には、4年間の内にとにかく勉強を頑張って下さい。将来直接関わらないかもしれませんが、その経験は必ずどこかで活きてきます。これは私がこれまでの人生で何度も体験したことです。そして良い意味で、先生方を利用してください。フランス語学科の先生方は生徒の夢や希望に親身になって相談に乗ってくれる方々ばかりです。そして若い内に色々な事にチャレンジして自分に合うもの、興味が持てるものをどんどん発見していって下さい。
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