通訳サポート事業参加の感想

イタリア語専修4年生 薄田 和彦

 2年前に始まったこの事業のことは当初から知っていました。ちょうど私がイタリア語に打ち込もうとした2年生のころで、何も出来ないことは知っていながらも挑戦してみようと考えていました。結局その時は実力、経験不足ということで実際に挑戦することはありませんでした。

 

 その後、およそ1年間の留学を終えもう一度この話が舞い込んで来た時は、この事業が以前よりも現実的なものになっていました。私の中では留学よりもこの招聘事業の方がまたとない機会で、ある意味では4年間の集大成と期待していました。

 

 11月16日、関西国際空港までデザイナーをお迎えに上がった初顔合わせの日。仕事であっても大切なことは第一印象とうまく足並みを揃える、通じ合うことが出来るかどうか。 出足は上出来でした。しかし、次第に感じることは自分の日本語の曖昧な部分。私が理解するだけならそんなに表には現れませんし、そもそもイタリア語で覚えてしまっている言葉も多くありました。

 

 例えばidentityという言葉。日本語でどう表現しますか?辞書では「同一性、主体性、本人であること」などの訳になっていますが、それとなくアイデンティティというカタカナ英語として既に理解しています。この言葉のように周知のものならば特に訳す必要もありませんが、イタリア語というあまり知られていない言語の、しかも日本語に訳しづらい言葉をどう他の人に伝えるのか。辞書に載っている意味を知っているかではなく、その言葉が内側にもっている本当の意味を知っているかという日本語力が必要だと感じました。

 

 それは言葉や分野が複雑になればなるほど必要になってくる力ですが、その言葉にあたる日本語は意外にシンプルだったりします。  どれほど外国語を勉強しても母国語が日本語である限り、物事を考える基礎はやはり日本語というidentity(イタリア語ではidentita’)を再確認しました。

 

 またそれとは相反することなのですが、言語の限界も感じました。限界というよりは言葉の必要としない世界です。

 

 ある工房を訪れた時のこと。日本人の職人とイタリア人デザイナー、どちらの方も互いに相手の言語など知らないような2人が、互いに言わんとすることを理解していらっしゃいました。普通ならば信じ難い光景なのですが、同じ分野で働いていらっしゃる方にとっては当たり前のことなのかも知れません。道具や手法が言語となり双方を繋いでいました。

 

 多言語を話せる人が国際的な人だと思われがちです。確かにある側面からすればその通りでしょうし、言語はなくてはならないものでもあります。しかし、この事業を通して伝統産業のように古くからある日本のものほど、外国に日本を伝えることが出来るものはないと感じましたし、それをまだまだ知らない私自身にも気付きました。

 

 残念な事にこの分野において切り離せない問題が、後継ぎが少ないということ。こんなに素晴らしい日本の伝統がずっと絶えることなく続いて欲しい気持ちと、私たちの世代が絶やさないように伝えていかなければいけないという、ちょっとした使命感に似たものも感じました。

 

 12月9日、関西国際空港まで見送りに行く最後の日。2人のデザイナーと再会の約束をした後でいっきに肩が軽くなったような、一仕事終えたような気分でした。たった3週間前に同じように空港に来たのに、あの頃が既に懐かしく思えるくらい濃密な期間でした。
今思うと、イタリアという国と日本という国を特に意識した3週間でもありました。

 

 今回グループリーダーをさせて頂き、通訳サポーター以外でも考えさせられることばかりでした。その分、京都府の方々、コラボレーショングループ、イタリア人デザイナー、同じグループの皆にたくさん迷惑もおかけしましたが、関係者の皆様の力で楽しく貴重な経験ができました。  本当にありがとうございます。

 
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