3年次・道下めぐみ体験記

ジョグジャカルタ・ガジャマダ大学留学中、3年次・道下めぐみ体験記

27日土曜日の朝6時、中部ジャワ島で地震が起こりました。私はジョグジャカルタ市内の北部に住んでいて震源地からは離れていますが、強い揺れを感じました。下宿の子が騒いでるのを見て余計に怖くなったけど、その時はそんなに大きな地震だと思いませんでした。


お昼ごろになってニュースで地震の事が放送されだして、その時に震源地に近い南部の映像を見て、初めて大きな地震で被害も大きいことを知りました。何人かの日本人の友達に聞くと、地震が起こった直後は、南からムラピ山がある北へ逃げて来る人で道が渋滞して、みんな「ツナミが来る」と言いながら逃げていたそうです。友達の一人も同じように北へと逃げたそうですが、今度は「地震の影響でムラピ山が噴火するから南へ行け」と言われたらしく、地震直後は情報が何もなくかなり混乱していて、逃げるときに怪我をした人がたくさんいたそうです。


実際に町では、停電の影響でしばらく信号が消えていたり、ガソリンスタンドに長い行列が出来ていたり、ほとんどのお店は閉まったまま。夜、ご飯を食べようといつものように屋台に行ったけど、どこの屋台も全て売り切れていました。地震が起こった日の夜は町全体が暗く、地震直後はこうなるなんて想像していませんでした。


28日日曜日は、友達に誘われて物資を運ぶ手伝いをしに行きました。物資の中身は、粉ミルク・砂糖・紅茶・インスタント麺でした。被害のひどいバントゥルとクラテンに行くチームに別れて、私はクラテンの WEDI と言う村に行きました。WEDI はジョグジャの南東にあり、ここではほとんどの家が倒壊し、死者も数人出たと言う事でした。実際に現地の状況を見られて勉強になったけど、これから自分がボランティアをするとして、一体何が出来るのだろうと考えさせられました。


地震が起こってから約1週間経って、インドネシア人もジョグジャに住んでいる外国人もみんないろいろです。自国に帰る人、ほかの地域に避難する人、普通に生活する人、そしてボランティアをする人。町を歩いていると、物資を積んで現地に向かう車をたくさん見かけます。


被災地には日本からはもちろん各国からのボランティアチームがたくさんいますが、被災者は今もテント生活で、復興には長い時間がかかると言われています。


私は、ニュースで毎日増える死者の数や、新聞に載っている人々の疲れ果てた表情を見て、普通に生活すること、何も考えずに毎日ご飯を食べたり、きれいな水でシャワーを浴びたり、屋根のある所で寝れること、それがどれだけ幸せなことかとても感じました。この地震も含めて、留学してから貴重な体験をたくさんしていますが、生きているからこういう風に感じるんであって、もし死んでいたら…と考えると本当に怖いです。留学させてくれた両親には、心配をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいですが、貴重な体験をさせてくれていることにすごく感謝しています。


地震が起こってから、自分に出来ることはなんだろうと考えるようになりました。それで今現地の新聞を訳しています。それをインドネシア語専修のホームページに載せてもらって、少しでも日本にいる人に現地の状況を知ってもらって、この地震のことを忘れないで欲しいなと思っています。

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