4年次・垣野佳苗体験記

2005年度ジョグジャカルタ・ガジャマダ大学留学、4年次・垣野佳苗体験記

5月27日早朝、インドネシアのジャワ島中部ジョグジャカルタで地震が起こりました。わたしがそれを知ったのはその日のお昼頃、おばからの電話ででした。「ジョグジャで地震があったみたいだけど留学中お世話になったお友達たちは大丈夫?」その時わたしは外出中でしたがそれを聞いて居ても立っても居られなくなり急いで家に帰ってテレビをつけました。するとちょうど半年前まで、留学中に毎日のように目にしていた建物が崩壊してメチャクチャになっていました。わたしはこの信じられない光景を見て被害の大きさを知りすぐにジョグジャの友人に電話やメールで連絡を取りました。その時点では現地の人々もこの被害の大きさに気付いていなかったようです。幸い友人の安否はすべて確認されましたが家が全壊し外で寝ることを強いられているという友人、家族と離れ離れになってしまった友人もいます。インドネシアは今の時期は乾季であるにも関わらず地震直後はなぜか毎晩雨が降り続いたそうです。辺りでは子供が泣き叫び、また雨のため気温が下がり人々は震え、ほんとうに恐怖の毎日だったと言います。わたしはこのような状況を聞いても何もできない自分にたいへんもどかしさを感じました。


わたしはジョグジャの友人が心配でたまらなくなり地震から10日後の6月6日、ジョグジャカルタに向かいました。まず真っ先に留学中お世話になった友人のところに行きました。友人は地震の日の恐怖をいろいろ語っており、わたしは友人の無事を実際自分の目で確認し安心したと同時に涙があふれました。地震直後は「津波が来る」とのデマが流れ人々は海から山に逃げ、今度は「ムラピ山が爆発する」と聞き山から海へ逃げ。人々は泣き叫びながら逃げ回り、普段は穏やかな町がごった返していたそうです。わたしはその光景がはっきりと想像できるだけにほんとに胸が詰まりました。


その翌日、ガジャマダ大学のインドネシア人の友人が今回一番被害の大きかった地域、バントゥールでボランティアをしているというのでわたしも同行させてもらいました。そこで目にしたものは建物が崩壊しているというよりは被害が大き過ぎて何もなくなり工事現場のようでした。わたしはカメラを持って行きましたが手が震えてなかなか上手くシャッターを押せませんでした。そのころは地震から1週間以上経っていたので各国からのボランティアの多くはすでに撤退していて地元の学生ボランティアが多かったように思います。彼らは仮テントでご飯を作ったり、子供たちと遊んだりしていました。わたしも少しの間ではありましたが子供たちとおしゃべりをしたりお絵描きをして遊びました。子供たちは無邪気で楽しそうにしていましたが、地震の恐怖は小さな子供たちに大きなショックを与えたことでしょう。それを考えるといたたまれない気持ちになります。


日本に帰国後、よりいっそうインドネシアの人々に何かしてあげたい、今自分にできることは何か、と考えるようになり現在はより力を入れて募金活動をしています。インドネシアのことを全くと言っていいほど知らない日本の友人や親戚が募金活動に積極的に協力してくれ、ほんとうにありがたく心強く感じる毎日です。これが1人でも多くの被災者の役に立てることができれば、と思っています。しかし天災が起こると犯罪が増える。悲しいことですがこれは事実です。特にインドネシアのような発展途上国では…バントゥールでも地震直後に強盗が増えた、また食料を売っている商人が食糧不足を良い事に金儲けをしようとしインスタント麺を通常の10倍以上の値段で売ろうとしそれに反感を持った住民と暴力事件になったとも聞きました。このような話を聞くとほんとうに悲しくなりますがこれが現実です。募金もすべての人々に平等に届くというのは実際困難であろうと思います。どうすれば確実に被災者に募金を届けることができるか…これは大きな課題であると思います。ほんとうに被災者に確実に募金が役立てられるようになってほしい、またジョグジャの一刻も早い復興を願うばかりです。

バントゥールにて

バントゥールにて

バントゥールにて

6月11日ジョグジャカルタ特別州・バントゥールにて、垣野佳苗撮影


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