060608 2年次・植松千恵、2年次・北野江美共訳

2006年6月8日付コンパス紙より

ボランティアのために結婚指輪を質に入れた

村落社会には地震の被災者に対して人道主義を自発的に示す方法がある。
お金を持っていないし、力もない。最初はただロガンデン村の地元有力者の一人が、士官学校の10数名の生徒にボランティアに行こうと声をかけただけだった。その生徒たちが出発しようとした時、彼らの出発の計画を知り、多くの住民が一緒に連れて行ってくれと直接頼みにきた。最後には約40人の住民が集まってトラックに乗り、そこにどんな人がいるのかを知らずに、被害の大きかった被災地、バントゥル県のピユガン村に向かった。


この援助は家族や友人のためではない。これは純粋に人道的な目的を持っている。「私たちは、家が大破した被災地へまずかけつけました。そして被災した人たちに、壊れた家を重機で瓦礫の山を片付けやすいように解体しましょうかと尋ねました。彼らはそうしてもらえると助かりますと言ってくれたので、私たちはすぐに作業を始めました。」と、ボランティアの一人であるムジランさん51歳は言った。この援助は、まだパニックやトラウマとなっている地震の被災者の負担を少なくとも軽減する。「(その地域ではみんなが同じように被災しているため)家の所有者一人では誰も頼りにすることが出来ないということを私たちは分かっています。私たちの家はあまり壊れていません。だから、私たちが彼らを助けられるのです。」彼らの援助の形はたしかにさまざまで単純なものである。豪華な高級車で被災地に来るお金がある寄付提供者と比べてはならない。この村の人々はレンガ職人、農民、バスの運転手や大工で、ボランティアをするために特別に仕事を休んでいる。しかし、このお金のない人々は彼らが持ち合わせる能力に合った援助をする、という大きな目的意志を持っている。その村の住民で2ヶ月前に結婚したばかりのバスキさんとサリさんは彼らの結婚指輪を迷わず質に入れた。彼らはその140万ルピアのお金を、ボランティアメンバーが村から被災地、そして村に戻る往復の交通費として利用することに合意した。バスキさんは以前一人で病院や保健センターへ怪我をした被災者を連れて行き来したことがあった。


石(瓦礫)を運ぶトラックの運転手として働くバスキさんは、一日3万ルピアの収入を失うこと、そして結婚指輪を質にいれることを快諾した。「金の指輪の意味は何でしょう?意味があるのはこの心です。報われなくてもいいのです。援助とはそういうものでしょう。」と、バスキさんは言った。バラン村、スムギ村、ロンコップ村のバイクタクシー屋の連帯も、自然に起こっている人道的な精神の例である。4つのグループに分けられた、少なくとも70のバイクタクシー屋が、パトゥック区、キドゥル山周辺の壊れた家々にまんべんなく援助が渡るようにばらばらに分かれた。彼らに会ったとき、家の壁がほとんど崩れ、屋根の1部分がめちゃめちゃになった現地の竹職人のフンドゥラマントさんが所有している家の瓦を落とし、みんなで協力して働いているところだった。朝8時から彼らはそこに行き、援助にとりかかる。「私はこの援助が得られることを本当に神に感謝しています。被災地の全ての人々は地震のせいで家を失って苦しんでいるので、今私たちは周辺の人々の援助も頼りに出来ません。このボランティアの人が行なう援助にはとても助けられています。」と、家の所有者であるフンドゥラマントさんが言った。


また、バロンビーチの約40人の漁師は、地震で壊れた公共施設や学校の瓦礫を片付け、バントゥルで地震の被災者をレスキュー隊が避難させるのを手伝った。復興は、自ら進んで人を助けようとする人々の人道的精神にかかっている。


(2006年6月27日、2年次・植松千恵、2年次・北野江美共訳)

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