日下部 あゆみ(ドイツ)

留学体験記 〜留学から内定まで〜

 みなさん、こんにちは。私はもう、留学から帰国して1年という月日が経ちました。帰国してから、急ピッチで就職活動を乗り越え、先日無事に京都産業大学を卒業しました。留学では色んなことがありました。楽しいことや辛いこと、不安で仕方なくなって島先生に連絡したことだってあります。しかし今となっては、全てをひっくるめたこの留学経験は、私の財産であり、自信です。この留学経験がなければ、今の私はないと思います。それだけこの留学は、私に大きな影響を与えてくれました。

クラス写真

 私は3年生の春から1年間、ケルン大学へ留学しました。1年次の終わりに1ヶ月、同大学へ短期留学していたこともあり、わりとすぐに街に馴染めることが出来ました。その反面、自身のドイツ語力の無さには度肝を抜かれました。大学に入学してから2年間、自分なりに一生懸命勉強したつもりでした。しかし、入寮手続きや口座開設、履修登録にも一苦労。それどころか、道端で話しかけられても簡単な会話でさえ、ままなりませんでした。もちろん授業もついていけず、毎日が必至でした。授業が終わり寮に戻り、復習と宿題をして一日が終わる日も少なくありませんでした。よく、3ヶ月ほど経つと急に聞き取れるようになるとか、急に話せるようになるなどと言われますが、個人差はあるものの私は人より時間がかかりました。そんな中、ドイツ語を上手く話せない自分に負い目を感じず素の自分でいさせてくれたのが、寮のシェアメイトである台湾の女の子でした。私たちはドイツ語のレベルもほぼ同じで、毎日自分の精一杯の力を振り絞って会話をしていました。一緒に料理を作ったり、ドイツ語で日本語と中国語を教えあったり、映画を見たり、夏休みには一緒にスペイン旅行もしました。そして、留学から半年ぐらいでした。すべてが理解できるというまではほど遠いですが、授業でのグループワークや寮の友達との会話が少しずつ出来るようになりました。とはいうものの、他大学からの留学生に比べると遥かに語学力が低いことは自分でも気付いていました。その上、留学の半分が経過し、焦っていた頃、その友達が留学を終え台湾へ帰国してしまいました。

クリスマスマーケット

 そんなある日、私の留学生活を大きく変える出会いがありました。他大学からの同じ日本人留学生に招待され参加した誕生日パーティーで、あるケルン大学生と意気投合をしました。彼女はタイ人とドイツ人のハーフで、日本に留学していたこともあり日本語は流暢に話します。その後、彼女は毎日のように私に連絡をくれ、彼女の仲のいいグループの中に私を招待してくれました。もちろん、最初は不安で仕方ありませんでした。そのグループの会話はすべてドイツ語。それに、私たちが友人と話すときのように、先生の様なゆっくりとした丁寧な文で会話が進むわけではありません。話題についていけなくなるのは目に見えていました。しかしここで失敗を恐れ、先の不安に押し潰されると、今までと何も変わらないと思いました。こんなチャンス二度と来ないと自分に言い聞かせ、私は留学生活最大の一歩を踏み出しました。初めは、私はここにいて良いのだろうか、この人たちは本当に楽しめているのかと、悩んだこともありました。しかし、そんな悩みも消し去るくらいに彼女たちは私を笑顔で出迎え、そして受け入れてくれました。残り半年、毎日のように家に行きご飯を作って食べたり、ビールを飲んだり、街に出かけたり、パーティーをしたりして、ドイツ人の日常に溶け込みました。もちろん、話題についていけないことはしょっちゅうです。しかし、若者が話す“生のドイツ語”を聞いた量は誰にも負けません。おかげで、リスニング力も上がり、授業でも少し余裕が出てきました。

 彼女たちと過ごした日々は一生の宝物です。この1年で、語学力ははるかに伸びました。しかし、他の留学生と比べると私はそこまでかもしれません。ただ、現地でしか出来ない体験を数えきれないほどしました。机上の勉強は、日本でも出来ます。ぜひ、留学に行った際は、現地の人と一緒に、現地でしか出来ないことを体験してください。

大好きな仲間たちと

 ドイツへの憧れとは別に、中学生の頃からキャビンアテンダント(CA)になるという夢を持っていました。ただ、私の中でCAは遠い存在でした。諦めることも考えていた最中、2年次に参加した、進路センターの“航空業界丸解りセミナー”で、本学のCA内定者のお話を聞くことができました。自信はなにひとつありませんでしたが、そこで初めて私にも挑戦する権利はあるのかなと思えました。その翌年ドイツへ留学し、さらに志望度が高まりました。それも、私にとってこの留学は、日本のすばらしさを再発見するきっかけになったからです。特に、日本人の「ホスピタリティ精神」。留学中、ドイツ人だけではなく世界各国の人々から“日本人の心”を称賛するお声をたくさん頂きました。日本人としての気配りや奥ゆかしさは私たちが思っている以上に高く評価されていると感じました。だからこそ大切にしたい、そして日本人であることを誇りに、この“おもてなし”を世界に発信し続けていきたいと思いました。

 こうして夢が現実的な目標に変わった頃、また新たな選択に悩みました。留学後、休学をするかどうかです。帰国が2月なため、12月から始まる就活に2ヶ月のブランクがありました。このまま十分に準備が出来ないまま臨んでも大丈夫なのかどうか、休学をしてこの一年で英語も含めしっかり準備した方がいいのではないかと、思いに思いを巡らせました。そこで背中を押してくれたのは留学アドバイザーである島先生でした。失敗するかもしれないという先の見えない不安でいっぱいの私に、島先生がたくさんアドバイスをくださいました。その中で一番心に残っている言葉があります。「休学しているうちにドイツ留学の成果が薄れてしまうのが一番恐い。」その通りだと思いました。島先生のおかげで、今の自分をぶつけてみよう、今やれるだけのことを精一杯やってみようと思えました。

寮のシェアメイトと

 また、挫折や失敗もたくさんしました。交換留学の選抜試験に一度落ち、諦めきれず再チャレンジした苦い思い出もあります。1年次の文法も一からやり直し、検定試験も進んで受験しました。次の選抜試験の面接対策も何度も何度も繰り返し練習をし、念願の留学の切符を手に入れました。面接では、こうした挫折や留学経験を通じて培ったタフな精神力をアピールしました。また、海外で感じた日本人のきめ細やかなサービス、ホスピタリティの素晴らしさをCAとして世界に伝えたいと話しました。面接が大の苦手だった私ですが、留学も含めた大学でのすべての経験が自信になり、面接でも気負うことなく自分をアピールできたのだと思います。そして、家族や友人、先生方の支えもあって、某航空会社の客室乗務職として内定をいただくことが出来ました。いち早く国際線に乗務し、ドイツ語を使ってサービスすることが、今の目標です。

 「失敗しても、ムダな経験など、何ひとつない。」
 この留学を経て、こう考えるようになりました。留学の選抜試験に一度落ちたことも、現地での口座開設がうまくいかなかったことも、ベルギーで偽警察官にお金をとられたことも、語学力に悩んだことも、想像以上に分厚い壁にぶつかったことも、すべてムダな経験などありませんでした。留学前は、少しでも不安を感じたり、少しでも恥をかくかもしれないと思えば、絶対に行動をしないタイプでした。しかし、留学を通じて、挑戦、経験することに意味があるということを学びました。失敗しても必ず得るものはある。それが何か分からなくても、きっとどこかで活きます。留学はチャンスにあふれています。ぜひみなさんも、失敗を恐れないでいろいろなことに挑戦してみてください。

 また、留学は決してひとりで出来るものでもないし、ひとりで乗り越えられるものでもありません。決して安くはない費用を出し留学を実現させてくれた両親、遠い国にいても相談に乗ってくれた日本にいる友人、留学ならではの悩み事を一緒に解決してくださった島先生、そしてドイツ・ケルンで出会った最高の仲間たちのおかげで、一生の思い出をつくることができました。本当に感謝しています。この気持ちを忘れずに、春から社会人として頑張ります。本当にありがとうございました。

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