中野 ひとみ(ドイツ)

 Guten Tag! 2009年の春から一年間ケルン大学に留学していました、中野ひとみと申します。
 この体験記では、これから留学に行こうと考えていらっしゃる方々に、出来るだけ詳しく、良い事もハプニングも全て含んだ私の一年を書きたいと思います。ご参考になれば幸いです。

1.留学準備

初めてのドイツ授業

初めてのドイツ授業

最後のドイツ授業

最後のドイツ授業

 私が本格的に留学を決めたのは、応募書類提出締め切り六日前でした。それ以前から留学について漠然と考えてはいたものの、金銭的な問題からどうしても一歩踏み出す事が出来なかったのです。しかし今後の大学生活について深く考え直し、三年生が最後のチャンスなのだから将来のためにもどうしても留学したいと結論を出しました。そして二日ほどじっくり両親と話し合い、紆余曲折あったものの、無事留学に行ける事になりました。

 留学前の面接は大変緊張しましたが、ドイツに対する自分の思いをぶつけられてとても楽しかったです。頭が真っ白だったためか内容は良く覚えていないのですが、グリム童話について熱く語った記憶があります。
 そして留学が決定した後は、自分と時間との戦いでした。留学準備、大学の勉強、サークル、資格試験の勉強、その他一人暮らしだった事もあって引越しや細々した手続きなど、やらなければいけない事は沢山ありました。手帳にやるべき事を書き出して、毎日自分にノルマを課してやっていました。

 金銭的な問題も給付型の奨学金をいただける事で解決し、不安ながらも期待と希望で胸を一杯にして日本を発ちました。


2.授業

 始めて振り分けテストを受けた時は、あまりの出来の悪さにテスト中に涙ぐんでしまう始末でした。今となっては笑い話ですが、この日の日記には「ライン川に飛び込みたい」と書かれています。日本ではそこそこな成績だったので、通用すると思い込んでいた自分が恥ずかしく、大変悔しい思いをしました。
 なので前期はとにかく授業に慣れる事で精一杯で、文法自体は簡単なのに知らない単語が多く、復習が大変でした。それでも何とか話せるようになろうと、 休み時間毎に友人とドイツ語で話していました。大体同じくらいのドイツ語レベルなので、二週間ほどで何とかドイツ語が出てくるようになりました。また日本語の授業のアシスタントをした時は、自身が日本語教師の勉強してた事もあり大変興味深かったです。
 後期は旅行の準備に忙しかった事や授業に慣れてしまっていた事もあり、ついつい手を抜いてしまいました。今から思えば、気が抜けてしまったみたいです。もう少し気を張って頑張ればよかったと、後悔しています。

3.旅行

 インドア派だった私が旅行に行ったそもそものきっかけは、周りの人間との不仲でした。悪感情にこのまま潰されていくのが怖くて、思い切って一人で南ドイツのテュービンゲンに旅行しました。その時かけがえない友人に出会えた事、様々な幸せを感じた事、それらが忘れられなくて、とり憑かれたようにその後あちこち行きました。新しい土地で新しい人と出会い新しい物を見る事は、私にとって最高のストレス発散であり、またその時しか味わえない幸せな勉強場でした。様々な人と出会う事で価値観が広がり、語学だけではなく、自分の内面が少しずつ成長していくのを実感しました。
 そんなこんなで、最終的には十カ国四十五都市回りました。特に夏休みは、ほぼ毎日旅行していました。旅行は大抵一人で、可能な限りユースホステルに泊まっていました。よく寂しくないかと言われるのですが、寂しいと感じた事はあまりありませんでした。
 同じ部屋になった人と一緒に食事したり、街を観光した事は、今でも私の大事な思い出です。日本人だけではなく、ドイツ人、チリ人、カナダ人、中国人―――様々な国の人と話す事が出来ました。この事はなかなか日本では味わう事が出来ません。もちろん対立した事もありますし、不快な事もありました。しかし最終的には笑い話になるくらい、楽しい思い出です。
 その他、ケルン大学が主催する遠足にも参加しました。安い上、同じ年頃の友達も作る事が出来、大変楽しかったです。ところで、パスポートなどの必需品の他に、私が旅行中に必ず持っていった物があります。それは、日記帳です。旅行中はとにかく気づいた事や感じた事などを、全部日記帳に書き出していました。例えば気に入った絵画の題名や、その街の様子、起こったハプニング、その時に考えていた事など。ノート二冊分ほど、細々と書いてあります。旅行から帰ってきた後辛い事があった時に、よく見返していました。また日本に帰った後もよく見返します。

4.ハプニング

クラスでクリスマスパーティー

クラスでクリスマスパーティー

初めての旅行(カルフ)

初めての旅行(カルフ)

 ドイツでは、色々ハプニングがありました。思えば、ハプニングが起こらなかった月は無かったと思います。何だかんだで毎月、何かについて煩わされていた覚えがあります。いくつか書いても良さそうなハプニングを書き出します。

  • まずドイツに着いたばかりの頃、寮費を払うために口座を作ったのですが、銀行のカードが一向に届きませんでした。窓口に文句を言いに行くも、なかなか意思疎通が出来ず、英語が出来ない事に対し「何で英語さえも出来ないの?」と冷たく言われた事もありました。毎週通って、結局カードが出来たのは一ヶ月後でした。原因は銀行の手違いとドイツ郵便の不手際だったのですが、ドイツ人の対応の冷たさにイライラしていた覚えがあります。
  • また三月から六月まで、人間関係の難しさから胃を痛めました。結局旅行という最高のストレス発散方法に気づくまで、毎日胃薬を飲んでいました。飲みなれた薬を持っていくととても便利です。私はドイツに飲みなれた薬を大量に持ち込んだので、留学中薬に困る事はありませんでした。
  • それから、四週間ほどで修理が出来るというお店にカメラを修理に出したところ、二か月以上待たされた事もありました。しかも大変歯がゆい事に、あらかじめ店に電話した時に「出来てるよ!」とはっきり言ったにも関わらず、実際は出来てないという事が五〜六回ほどありました。この時はさすがに対応の悪さに腹が立ち、初めてドイツ語で店員と言い合いました。しかし向こうは一向に折れず、結果私が妥協する事になりました。
  • 九月頃に、クレジットカードを落としました。幸い二枚持っていたので、後半は一枚で何とか乗り切りました。クレジットカードは発行が複雑なので、複数持っていった方が良いと思います。
  • 携帯電話をドイツ人販売員の口車に乗せられて契約してしまい、後から話が違うという事がありました。解約も「解約する月の初めに店に来い」と言われたので行ってみたら、携帯会社の本社に手紙を出して解約しなければいけなかったと後で発覚しました。しかし八日後には日本に帰らなければいけなかったため、支払う事が出来ず、最後の最後にドイツ語で派手に言い合いました。この頃には自分の言いたい事は何とかドイツ語で答えられるようになっていたので、論破する事には成功しましたが、お互い疑問が残る結果に終わりました。
  • 帰国後に寮から「貴方の部屋はカビが生えているので弁償しなさい」というメールが届きました。しかし入寮時の書類にはカビが元々生えていた事が書いてあり、それを添付した上でメールで抗議しました。その後一切返事は来ていないので、どうなったのか分からないのですが、さすがにもう二カ月もたっているのでおそらく支払わなくて良い方向で話が固まったのだと思います。荷物にはなりますが、ドイツで貰った書類は一通り持ち帰った方が良いと思います。人によっては捨てているらしいのですが、私のようなケースもあるので。
  • これはあまりハプニングとは言い難いのですが、よく迷子になりました。最長四時間、ミュンヘンやアントワープでさ迷っていました。なので、後半は方位磁石を持って歩くようにしました。個人的に、一番迷子になって危ないと感じたのはポーランドです。どうしても駅に辿り着く事が出来ず、そこら辺に止まっていた車に乗っていた人に英語で道を聞いたら、情報量としてお金を要求されました。すぐさま回れ右をして逃げたので、事なきを得たのですが。旅行中は危険も多いので、自分の身を守るためにも、方位磁石は必要だと痛感しました。そんな自分がとても情けないです。

 最後に、言葉は少しきつくなってしまうのですがどうしてもお伝えしたい事がありますので書きます。異国の地では、同じ国出身である日本人がやたらと頼りがいがあり、信用に足るように感じます。しかしそれは異国という土地だから、そう見えるだけの幻です。所謂、吊り橋効果というものです。日本であろうとドイツであろうと、常に冷静に人を見極めないと、私のように帰国直前になってからまさかの事で裏切られ、大問題が起こります。異国でのハプニングは、言葉が通じない&文化が違うという事でかなり体力と気力がすり減ります。私も帰国直前まで、毎日不眠症とストレスからくる吐き気に悩まされていました。皆さんはそのような事がないよう、十分気を付けてください。
 私は人前でそんなに泣かない方だと思うのですが、ドイツでは悔しさや理不尽さにボロボロと泣いてしまった事が何度もありました。しかし大抵、泣かした相手の対応は大変冷たいものでした。ドイツでは泣いても無駄です。もしドイツで戦わなければいけない事があった時は、泣く前に、頭をフル回転し理屈をこねてください。屁理屈でもかまいません。とにかく辞書を片手に、どうやって相手を言い負かそうか考えながら話を組み立てれば何とかなる事の方が多いです。

5.アドバイス

 留学中は様々な事を経験してください。自分が今まで興味がないと思っていた事でも、是非積極的に挑戦してください。私も、コンサートやオペラや一人旅など様々な事を経験しました。その事によって、様々な教訓や考えを得る事が出来ました。そして一見関係ないと思った事でも、意外と人と話すネタになったり、何かを考える上で重宝する経験となります。 他の人と話したり、何気なく町を見渡して興味を持った事は、積極的に参加してみてください。
 特に旅行中は、興味がないと思っていた博物館に入ったら意外と興味を持ったという事が多かったです。私はよく美術館に行くのですが、そのついでに入った陶器の博物館で陶器の魅力に気づきました。その後陶器の博物館があればチェックするようになり、食器だけではない陶器の世界を知る事が出来ました。
 このように皆さんもぜひ様々な経験をしてください。全く知らなかった分野が意外と面白いという事に気づくかもしれません。

6.帰国後

 帰国準備は一か月前から始めたので、途中トラブルもありましたが、携帯以外は何とかなりました。むしろ一か月前から予定をたてて、出来るだけ余裕のあるプランを組んでいたからこそ何とかなったのだと思います。神様は優しくないので、帰国直前にとんでもない問題を起こす時もあります。ですので早めに準備をしておいた方が安全かと思います。
 最後は友人のパーティーで騒いだ後、一人感傷に浸りながらケルンの街をゆっくり見て回りました。生憎霧が出ていたのですが、今でも目を閉じれば思いだせるほどケルンの街を目に焼き付けました。
 帰国後は、すぐに就職活動を始めました。ドイツにいる間からエントリーだけはしていたので、入りはスムーズでした。三年生の後半が留学に被る人は、ドイツにいる間から出来るだけ周りの情報を探っておいた方が良いと思います。ドイツは想像以上に就活とは無縁なので。

7.最後に

 上に沢山書きましたが留学は、沢山「Wunderbar!!」と喜び、沢山「Scheusslich! Echt?! Warum??」と泣き崩れながら怒鳴り、沢山「Danke!!」を言った一年だったと思います。
 外国どころか本州すら離れた事がない私にとって、常に未知との戦いでしたが、今の私になるために無くてはならない大切な時間・構成要素でした。自分と全く異なった価値観を持つ周りの人間、今までの自分の常識が通用しない世界。それ故に大変苦しい時もありました。何度、寮のベットで声を押し殺して泣いたか分かりません。何度、帰りの電車で急に泣き出してしまったか覚えていません。しかし留学前に手帳に大きく書いた自分の目標――自分がなりたい自分に近づくという目標は、達成出来たと思います。この留学によって、私はより自分がなりたかった自分に近づけたと確信しています。語学が向上した事も、勿論嬉しい事です。世界中に友人が出来た事も、大変喜ばしい成果です。しかし私はそれだけが留学ではないと思います。人間的に成長できた事、これが私にとって一番留学で得られた掛け替えない事だと思います。
 最後に皆さんに、私の手帳に赤い文字で書かれていた一言を送ります。
「例え苦しくて負けそうでも、選んだ道なら間違いじゃない」留学が決まった時、留学の最中、留学から帰ってきた後。留学を選んだ事が正しい道だったのか、何度も悩みました。しかしその度にこの言葉を思い出しました。皆さんが本気で留学を選んだのなら、どれだけ苦しくても辛くても、それは将来的には『正解』です。留学は決して楽ばかりではありませんが、是非一歩踏み出してみてください。

Vielen Dank!
 留学中もその前後も支えてくれた家族、生田先生、島先生、高山先生、トゥラウデン先生、留学アドバイザーの先生方、国際交流センターの沼田さん、垣内さん、日本人教会の方々、日本人の友人、留学生の友人、ドイツ人の友人、ドイツの先生方。沢山の人に支えられて、私はドイツで生きていました。本当に本当に、ありがとうございました。

ドイツ人の友達とパーティー

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煙だらけの新年会

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