山下華代(ドイツ)

ドイツ留学体験記(マンハイム)

Mannheim

 Guten Tag, 今、私はドイツ・マンハイムにいます。ドイツにはこれが4度目の訪問です。

 2006年の春から2007年の2月まで、私はこの街に留学していました。
今回、このような機会をいただいたので、私のドイツでの経験を通して、みなさんにもっとドイツに惚れ込んでもらえたらと思います。


私とドイツとの出会い

 それは、私が高校2年生の時でした。
それまで、外国に興味もなく、とりあえず、地元の短大に入ろうと思っていた時に、「高知県高校生海外研修プログラム」というものに参加したことがきっかけです。
このプログラムにはすでに私の友達が高校1年の時に参加して、とても良かったと言っていたので、少し興味はありました。
そして、どうせこのまま海外に行くこともなく、日本で地味な人生を送るんだろうと思って、親に相談してみたら、意外にもあっさりOKが出て、そのままスムーズに面接などの選考も通り2週間ドイツへ行くことができました。
この時、他の国もあったのにドイツを選んだのは、英語はできないし、知らない言葉に触れてみるのもいい。何より、ヨーロッパって超カッコいい!!という安易な理由です。

 しかし、この選択で私の人生は大きく変わり、今に至ります。

 この研修では、環境問題について学びました。ベルリンとフライブルクに1週間ずつ滞在し、ドイツの水質工場や、ごみ処理場などを見学しました。
 しかし、私はそれらよりもドイツの建築物や、通訳さんの口から出てくるドイツ語、ステイ先の日本では体験できないドイツ文化に惹かれていきました。また、それらと共に日本について会話ができない自分に悔しさも覚えました。

 帰国後、進路志望の用紙は真白になりました。
 世界って広いな…日本文化を通して何かやりたい…何か外国と携わることがやってみたい…でも、英語ができないし、今後やる気もない(笑)…どうしよう…。 じゃあ!ドイツ語を学べばいい!英語ができなくても、他の言葉が話せれば一生の宝だ!このように、半年くらいかけて私の心は動いていきました。でも、実質高3の春から外大を目指すなんて気力は私にはなく、大学に入ったら絶対早めに留学することがその頃の目標だったので、できるだけ早く留学できる大学を目指すことにしました。

 そんな私だったので、受験勉強もろくにせず、AO入試でドイツについて書いた小論文の内容を、面接のときに担当の先生にものすごく突っ込まれた時は、さすがに落ちたと思いました。だけど 、入学したいという熱意が伝わったのか、無事に合格することができました。
私はコーラス部に所属していたので、小論文がダメダメだった場合、自己アピールとして歌を一曲歌おうかとさえも考えてましたが。(笑)
とにもかくにも、大学でのドイツ語の勉強が始まりました。はじめはとても楽しかったけれど、飽き性の私はすぐに挫折しそうになりました。しかし、留学できなくても嫌でも4年間付き合っていかなければならないんだ、と思ってなんとかついていきました。

〜留学中(2回生)〜

タンデム:Martinと

 成績はお世辞にもあまり優秀とは言えなかったけれど、マンハイムに語学留学が決定したときは、とても嬉しかったし、人生こんなにもトントン拍子に進んでいいものかとさえ思いました。

 しかし、この留学は人生の修業期間と言っても過言ではないくらいのものでした。

 はじめ、生活にはすぐには慣れなかったけれど、授業は毎日が楽しかったです。クラスメイトとたどたどしいドイツ語を使って話をしたり、一緒に旅行に行ったりしました。タンデムパートナーは思い切って大学の図書館の掲示板に手書きのポスターを貼り、週1回会って、話をしたりしました。今振り返ると、日本語のできないドイツ人がドイツ語のできない日本人と週1で付き合ってくれたこと、あのポスターの文章にかなりの間違いがあったのに、連絡くれた彼はとても親切な人だったと思います。


ともだち

 また、大学のコーラス部の練習にも週に1度行って息抜きをしていました。アジア人が一人いるのは窮屈で、先生が何を言っているかもわからなかったけど、“ここにいるのはみんな歌が好きな人ばかりだから大丈夫”と妙な自信から通い続け、教会でミニコンサートも行いました。

 そして、一人での旅行にもチャレンジしました。
女一人旅だったので、たまには危険なこともありましたが、旅先ではいつも出会いがありました。同じようにドイツ留学している日本人大学生や、道案内をしてくれた老夫婦、列車で知り合った韓国からの旅行者など、こういった新たな出会いからまた刺激を受けて旅をするのが楽しくてたまりませんでした。

 また、一人で旅をしていると、自分で全部道を聞いたり、ホテルのチェックインをしたりしなければならず、ドイツ語を話す勉強にもなりました。日本人の旅行者が道に迷っている時、私が助けることができたのは、とても大きな自信にも繋がりました。

 もちろん、こういった楽しいことばかりではなく、授業中はなかなか伸びない語学力で、自分自身にイライラしていたと思います。一度つまずいてしまうと、そこからの立ち上がりが困難で、学校へ行くのも嫌になっていました。留学が終わったらもう別のことをしようとさえも思っていました。


 でも、そんなときに助けてくれたのはドイツで知り合った、一緒にドイツ語を勉強する友達でした。ご飯に誘ってくれたり、宿題を一緒にしあったり、気にかけてくれていたと思います。そして、負けず嫌いな私は彼らがどんどん成長していくのが悔しくて、勉強方法を変えてみたり、話す機会を増やしたりしました。人より習得が遅い私でしたが、いつの間にか自分の言いたいことを言えるようになり、もっと楽しもうと積極的に行動するように心がけました。

 でも、やっぱりドイツの冬の朝早くに学校に行くのはつらかったです。(笑)

 このとき、私の留学の目的は“以前お世話になったステイ先にお礼をすること”と“将来の夢を見つけること”でした。ステイ先とは連絡が途絶えたままで何もできず、そして将来の夢も、正直、それが何かを見つけることはできず、帰国後は自分はなんてダメダメなんだと思っていました。

 しかし、今思えばいくつかヒントは得ることができたと思います。
 留学中に受けた刺激は私の考えを大きくかえ、帰国後半年くらい経ってから、もう一度きちんとドイツで勉強したいと思うようになりました。

オクトーバーフェスト

好きな街:Celle


留学後(3回生)

 日本に帰ってきての重要な課題は単位を全部とることでした。そして、卒業後にドイツで勉強するための準備でした。
 しかし、そうはいうけれど、どうしていいかわからなかった私は、OeSDのドイツ語試験を受けたり、スピーチコンテストに出たりして、ドイツ語の維持と向上に努めました。それらで良い結果を得ることができたのは、先生方の指導はもとより、ドイツにいる友達のおかげです。
 普段の授業はドイツ語の基幹科目系が多かったのですが、友達から聞いていたより全然苦ではなく、とても興味深く、3回生ではドイツの文化・文学を中心に学ぼうと決めてカリキュラムを組んだのも良かったと思います。

 また、部活動に所属してなかった私は、ドイツ語学科の友達のおかげでドイツ語サークルを立ち上げることができました。私の軽はずみな発言でこういうことになり、みんなは就職活動があるのに、サークル設立にむけいろいろと手伝ってくれて本当に嬉しかったです。
 正式なサークルになる前に神山祭の模擬店で、ドイツで売っているようなBratwurstを売ったりして、OB・OGの方々にも喜んでもらえました。

現在(4回生)

 4回生になってからは、3回生ではやらなかったドイツ語学・歴史を中心にカリキュラムを組み、また、本格的にドイツに行く準備を始めました。正規の学生になるのが目標でしたが、DSHやTestDafといった資格を持っていないため、すぐには困難でした。
 しかし、幸運にも、以前留学していたマンハイム大学で、私の条件に合うFree moverという留学生制度を見つけ、無事それに合格することができました。もちろん、その合格には3回生の時に受けた試験の結果などがあったおかげです。

 こうして、今、私は再びドイツにいます。
マンハイム大学でFree mover 生としてSparachenとPhilologieを勉強します。これは最高2セメスター、大学で勉強できるといったもので、これから先、どうなるかは不安定でまだわかりませんが、就職せずにこの道を選んだことは後悔していません。むしろ、この道を選ばなかったら、とても後悔していたと思います。

 日本では、大学卒業後は就職する学生が多いです。それももちろん親孝行ができて良いと思います。しかしドイツでは卒業後も大学院に行ったり、研修を受けたりして自分のキャリアを積んでから就職する学生が多いという印象を受けます。
 そのためには長い時間がかかるので、20代後半になっても学生の人なんて沢山います。
 私なんかまだまだ子供みたいなもんです。まだまだ親に迷惑もかけるし、自分の将来に夢を見ている子供です。
 でもその純粋な気持ちを忘れずに、自分自身に期待して生きれば良いと思います。
 “自分はできる”そう思うことで、乗り越えられることはたくさんありました。

 大学で学んだこと、ドイツ留学で学んだこと、言葉にして表現するのは難しいけれど、私の心にはきちんと刻まれています。そういった経験を、できるだけ多くの人がそれぞれの心の中に記せたらいいなと思っています。このお手伝いをすることが、私の夢なのかもしれません。

外国語学部ドイツ語学科
山下華代

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