寺田真由美(ドイツ)

私のドイツ体験記

パッサウでの学生生活


2004年秋、私は初めての海外でいきなり1年間留学することになりました。
初めて親元を離れての一人暮らし、それも海外ということで最初は不安でいっぱいでした。


これから1年間住むことになるパッサウという町は、フランクフルトの空港から電車で4時間程かかるドイツの南東の端、オーストリアとの国境沿いに位置する小さな町です。イン、イルツ、ドナウの3つの川が合流する場所で、上から見るとこの町は川の中州のような状態になっています。町の一番端に立って川の合流地点を見ると、それぞれの川の色が違うので、天気の良い日なら川の分かれ目がはっきり見ることができ、この町の観光名所の1つとなっています。
この町にはもうひとつ有名な場所があります。それはこの町の教会なのですが、ここには世界一大きなパイプオルガンがあり、カトリック教徒なら一度は訪れてみたい場所なのだそうです。
さて、パッサウでの新しい生活が始まると初めは大変でした。
ドイツではスーパーマーケットなどのお店は日曜日はお休み、土曜日は夕方には閉まってしまうので、週末に入る前に買い置きをしておかなくてはなりません。
そうとわかってはいても、私は日本人なのでついつい忘れてしまい、週末にひもじい思いをする事もしばしばありました。他にもいろいろと問題はありましたが、私の場合はラッキーなことに、お向かいに住んでいる学生が日本とドイツのハーフだったので初めのうちは日本語でいろいろ助けてもらうことができました。初めは彼の手助けでなんとか生活していた私も、日が経つにつれて少しずつドイツ語にも慣れてきて自分のペースで生活できるようになってきました。


まず大学や語学学校の授業が始まりました。語学学校では色んな国籍の人達がドイツ語を勉強します。ここでも私はまたラッキーで、私がいたクラスは今までにないくらい雰囲気のいいクラスだったらしく、本当にみんなが仲のいいクラスだったので、学校外でもパーティをしたり、帰りにお昼ごはんを一緒に食べたりしていました。ここでできた友達とは今でも交流が続いています。こうして、今まで机の上の勉強でしかなかったドイツ語で人とコミュニケーションができるようになってくると、今まで持っていた世界観や価値観もがらりと変わりました。今までは言葉が通じない外国人はなんとなく恐くて近寄りがたい気がしていました。(大学の先生など日本語がわかる外国人は平気だったのですが。)でもこうして意思疎通ができるようになると、だいたいみんな持っている感覚は同じだし、話す言語が違うだけで日本人の友達と話しているのと何も変わらない。そのことに気づいた時は、なんだかわからないけどすごく嬉しかったのを覚えています。それからは学校外でも、隣の部屋に住んでいるドイツ人のアンネちゃんと仲良くなって、一緒にスポーツセンターへ行ったり、夜ディスコ(日本だとクラブ?)に繰り出したりとやっとドイツでの生活を楽しめるようになってきました。それからも本当にいい出会いがたくさんあり、私はドイツで一生分の運を使い果たしてしまったんじゃないかしらと思う程です。友達との旅行も楽しい思い出のひとつです。大学から安いツアーがいろいろ出ているので、それに一緒に行ったり、友達の実家に泊まらせてもらって近くの町を観光したりしました。


こうして楽しい時間を過ごしているとあっという間に時間は過ぎてしまうもので、特に最後の半年間はもっとドイツにいたいと思う程でした。
帰国する月の7月、私は誕生日パーティ兼お別れパーティをすることにしました。日本では誕生日パーティというと友達が計画してひらいてくれるものですが、ドイツでは全部自分で用意して、友達を招待するものなのだそうです。そこで私も何人か仲のいい友達に手伝ってもらって準備をし、友達を招待しました。場所は住んでいる学生アパートのパーティ・ルームを借りきって30人は来てくれたでしょうか。みんなそれぞれに楽しんでくれたようで、みんなと話してまわりながら私もとても楽しい時間を過ごしました。
じつはそのパーティはみんなが来れそうな土曜日の晩に開いた為、本当の誕生日より2日早かったのですが、何人かの友達が誕生日当日にまたお祝いをしてくれたのです。彼らの中には日本語を勉強していたり、日本の文化に興味を持っている人達がいたので、日本ではそうするものだと知っていたんでしょうね。サプライズでプレゼントをもらったりと、ドイツでの最後の思い出にピッタリな素敵な夜を過ごすことができました。

留学を終えて

この10日後、私は再び日本の土を踏んでいました。
初めは言葉も理解できないし、言いたい事もうまく伝わらなくて、
一人でいる時間も多かったし、寂しくて早く帰りたいと何度も思いました。
それでもこつこつ単語を覚えて、ドイツ語で話そうと努力しているうちに、
ある時ふっとわかるようになっていることに気づくのです。私の場合は、
3ヶ月ごとにドイツ語がわかるようになっていくのを感じました。
こうして最後には本当にいい経験と思い出と友達を得ることができました。
この一年間のことは一生忘れることのない思い出です。


外国語学部ドイツ語学科
寺田真由美

PAGE TOP