中国での留学体験 (O.M.)

O.M.


私は、上海から車で1時間半ほどの場所に位置する、蘇州という街に約1年間留学をした。この街は、街中に運河が巡っていて、人々を始め、街自身の雰囲気もとても静かで、落ち着きやすい場所であった。この留学生活において、私が蘇州以外に行った場所といえば、本当に数少ない。西安、洛陽、上海、杭州の四ヶ所だけである。もっと気候のよいうちに、いろんな場所へ行くべきだったなぁ、という後悔が無いと言えばうそになってしまうが、それでもこの4箇所だけでも満足はしているつもりだ。そして、これだけの場所を訪れるだけでも、中国という国の、国土の広さを改めて知り、残された遺跡を眺めたときなどは、昔の中国のすごさを目の当たりにしたようで、感動も絶えなかった。そして、やはりその街は、その街自体の雰囲気をもっているし、食べ物もまた異なるため、とても夢中になれる楽しさがあった。でも、やはり私は蘇州が自分にとてもあっていたと思う。この街がとても好きだからだ。


私は、実を言えば留学を希望していたものの、中国にくる前は、この国に対してあまりいい印象は持っていなかった。むしろ悪い印象のほうが断然多かったように思う。以前に旅行できたことも無かったため、全くと言っていいほどの無知だった。人々は信用できないとか、危険であるとか、そういう類の話をたくさん聞かされていたせいかもしれない。私は、この国は、あんまり発達してないのだろうと思って、文房具の消しゴムの予備用まで買い揃えて、そして超過料金を払ってまでこの国にやってきたが、私の想像とはまったく異なった実際の中国に対し驚いたことを今でも覚えている。


蘇州は、上海などに比べるとよほど、田舎であるし、小さい街だけれども、物はなんでもそろうし、大きな百貨店なども、ずらりと並んで、大きな通りを作っている。コンビニエンスストアなど無いものの十分に生活は送れるし、一般の蘇州人も何も不足せず暮らしている。


しかし、蘇州人の話によると、今の蘇州が今のようになったのはここ二,三年の間だということだった。この間の蘇州の発達速度はとても急速で、それに伴い、道路などもどんどん拡張されたり、何十階とあるたてものも進出してきた。人々の考え方も、以前より開放的なものになってきているようだ。ここ蘇州で、髪の毛を茶色に染めた人も、最近ではよく見かけるようになった。私がここにいる間にも、通りの雰囲気などがずいぶん変わってしまった。たった1年間の間なのにだ。その急速な変化には、驚かずに入られない。地元の人々ですら驚いている状態だ。


しかし、私はそのようにどんどん開発され、にぎやかな通りを一歩奥に入った細い道を歩くほうが好きだった。運河を利用した家造りがされていて蘇州独特の雰囲気が残る、いわば、人々がひっそりと暮らす静かな通り“蘇州小巷”である。昔ながらのその人々の居住区を歩くのには、少し勇気も行った。一見静かで、暗くて、さびしいように見えるが、蘇州人の生活がそこにあふれているのを感じることが出来る。またそれが、ふと突然感じたくなって、この細い道がどこに続くのかを楽しみながら散歩もよくした。しかし残念なことに、“蘇州小巷”独特の建築物もこの数年で無くなったという。そして、もう何年かが過ぎるころには、これらの家などもあまり目にすることが出来なくなるのだろう。時代の変化とはいうものの、文化が少しずつ消えていくようで寂しいことである。


中国では建築物の建て替えが早すぎるようにおもう。不思議だ。建物を崩すにも、瓦礫を運ぶのも、人の手によるものが多いのに、ふと見ると、もう新しい建物が建っている。一週間ぶりぐらいに通ってみると、見たことも無い新しい店ができていたりする。そしてその店は、またしても音沙汰もなくいつのまにか、なくなっていたりする。


中国人の声は大きい、これもここに来て始めて知ったことだ。周りに人がいることなど全くお構いなしだ。日本人は、周りに気を遣ったり、他人に話している内容を聞かれることに恥じらいを感じる傾向にあるが、そのあたりは本当に異なる。自分には無いその堂々とした彼らの態度は、うらやましくさえも感じるところだ。また、同時に中国人は思ったことをはっきりというなぁとよく感じた。例えば、成績のよい生徒はものすごく誉めるし、悪い生徒は、とてもきつい評価を下す。恐らくこれは中国人の習慣の一つであろう。中国人は、近所の子供に対してもはっきり言うし、その言われた子もそんなことでは気を落としたりはしない。ところが、留学生の中には、それを大いに気にする人も少なくなかったようだ。言葉の使い方と、習慣の違いが生み出す、いい例であったようにもおもう。


また中国に居て、もっとも怖かったことが一つある。ユーゴスラヴィアの中国大使館爆撃事件があったときだ。今までの歴史の中でも、中国では学生が先頭になってデモを起こすことがよくあったことを知ってはいたが、まさか私がそれを自分の目で見ることになるとは、夢にも思っていなかった。


私はその事件があったとき、上海に居た。某大学内の招待所に止まっており、その事件が起こった次の日、私は、まったくそのことは知らなかったが、学内を歩いているとき、普通ではない雰囲気を感じ取った。そしてお昼ご飯で食事をとっているときに、学生のデモ行進を見たのだ。五星紅旗を持って、声を張り上げ、街を練り歩いていた。その日蘇州に戻ってきてもまたさらにショックを受けた。いつもはこんなに平和な雰囲気である蘇州でもデモ行進が行われたということを耳にしたからだ。それだけではなく留学生が使用する建物の壁にもたくさん張り紙がされた痕が残っていた。アメリカ人を始め、外見からはアメリカ人と区別がつきにくい留学生もしばらく先生にかくまってもらっていた。


私自身は、もちろんなんの被害も無かったが、中国の学生の国家に対する考え方は、同世代でも日本人とこのように大きく違うことに私はとてもびっくりした。日本では考えられないことだからだ。しかし今の日本人学生があまりにも自分の国家に対して関心が無さ過ぎるのかもしれない、とも思えるようだ。


私は、中国の物価が安いということもあり、なに不自由無く1年を暮らすことが出来た。というよりは、ほしいと思ったものはなんでも手に入れる事ができたし、ずいぶんと贅沢な暮らしを送ったように思う。それは私だけではないだろう。多くの留学生は、私とたいして差は無い生活を送ったに違いないだろう。蘇州大学の留学生宿舎は出来たての新しく綺麗な建物で、全員一人部屋という恵まれた条件であった。


そして、私はその自分の置かれた、恵まれた条件に感謝をせずにはいられなかった。中国人の過酷な生活とはかけ離れすぎていたからだ。私も、蘇州大学に通う中国人の友達が何人かいた。普通中国人の学生の多くが、学校内にある宿舎にすんでいる。そこでは、一人部屋なんてありえもしないことだった。少なくて4人、多くて10人くらいが一緒に部屋を共有している。お風呂も毎日入れるというわけではないし、部屋にはエアコンなど無い。生活をするだけでも、相当大変な環境である。



またわたしは、その子の自宅にも何度も遊びに行ったことがある。その子の家は、蘇州市内にあり、そして昔ながらの家であった。そこで、もっと中国人の生活がどれほど大変かを私は知ることとなった。その子の家は決して裕福とは言えないが、貧しい暮らしを送っているわけでもない、本当にごく一般的な家であった。それでも、家は小さな平屋であった。中は全部で5つの部分に分かれており、入り口を入ってすぐそこが、もう居間であり、しかし、自転車が置いてあったり、洗濯機が置いてあったりする。その他には、部屋が2つと、台所、洗面所となっている。トイレは、300メートルほど離れた公衆トイレまで行かないといけない。部屋の明かりも暗い。本当に蘇州人のひっそりとした暮らし方が残っている感じだ。


以前こんなことを教わったことがある。北京の人が蘇州にくると、絶対に寒いと言うそうだ。なぜかといえば、蘇州の家には暖房器具が無いからだという。それは本当だった。信じられないが、家の中と外の気温は一緒だ。私が、最後にその家にお邪魔したのは年末だったが、本当にあの寒さには耐えられなかった。寒いときには部屋の中が、マイナス気温であったりもするのだ。もちろん水道もお湯など出るわけも無い。彼らはとても厳しい生活を送っていたのだ。私は思わず自分の恵まれすぎた環境に感謝しなければならないと思うと同じに、そんな環境においてもなお、更によくばろうとばかりしていた自分を恥ずかしく、情けないと感じた。そして決して裕福ではない生活にも耐えながら、それでも生活の中で喜びを見つけ、幸せの笑顔をこぼす彼らを見て、尊敬の念を抱かざるを得なかった。


彼らがとても立派に見えた。一人一人が真剣だ。以前の日本もそうだったのだろう。戦後何も無い時代から、ここまで豊かな日本を作ったのは一生懸命だった日本人がいたからである。そしてそれは、贅沢しか知らない今の若い世代の人が作ったものではない。私にとっては、そんな苦しい条件の中でどうして笑顔が出来るのか不思議でもあったし、また一方ではとてもうらやましい光景でもあった。


これから、中国人の中にも豊かな人がどんどん増えてくるだろう。忘れていってほしくないものである。


中国で留学生活を送ったこの1年はいろんな意味でたくさんの事を知ることが出来たように思う。こんなに近い国なのに人々の習慣や考え方、また私達に対する接し方、どれを取っても、私の想像とは全く異なっていた。また、中国に来たばかりの当時は、なにを取ってもやはり日本がいいという感情しか沸き起こってこなかったが、今となっては、そんなことはとても言えるものではない。中国にもいいものはたくさんあるということを発見できた。そして特に私は、自分と同じ学生の中国人と接することが多かったが、彼らの現状や行動、考え方は、私にとても深い印象を与え、またたくさんの刺激を受けることが出来た。そしてそれによって、自分という人間を見つめなおすことの出来た留学生活だったとおもう。

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