私の異文化体験記 (A.KINOSHITA)

木下 歩


私は一年間、中国山東省の端にある煙台という町に留学した。煙台は北京や上海などの大都市とは違い、比較的田舎の小さな町だったので、私の体験が果たして中国全土に共通するものなのかは分からないが、とにかく一年間を通じての私の体験を書いて行きたいと思う。


煙台に到着してまず驚いたことは、舗装されていない道にゴミがあまりに無造作に捨てられていることと、道を歩いている人がとにか痰や唾を吐きまくることだった。最初の頃はそれが嫌で仕方なかったが、そのうち老若男女を問わず中国の人たちが唾を吐き、手鼻をかむことにも慣れてしまった。きちんと身なりに気を使う大学の先生方でさえそうなのだから、汚いとかいう問題ではなく、これも習慣の違いなのだと思う。また、中国の人がバスの中やレストランの床などにところかまわずゴミを捨ててしまうのをよく見かけた。


あるとき、汽車の窓から乗客が次々と物を捨てるのを見たときは、さすがに唖然としてしまった。時々道路沿いに「保護環境」などと書かれた看板を目にしたが、どうもまだそういう意識は一般の中国人の中には浸透していないようだ。


留学して一番苦労するのは、やはり言葉が通じないということだった。日本の大学で中国語を2年間勉強したにもかかわらず、いざ中国に来てみるとまったくと言ってよいほど役に立たなかったのにはさすがに情けないものを感じた。


文法的知識は持っていても、実際に日常生活で必要な会話や聞き取りが、最初は全然出来なかった。


私は中国に到着して次の日ぐらいに、無謀にも銀行に口座を作りに行ったのだが、当然ながら相手のしゃべっていることが分からず苦労した。外国語だからそう思うのかもしれないが、中国人は一般に早口の人が多いように思う。これは一年経った今でもおもしろく思うことなのだが、中国人は、相手が中国語をあまりしゃべれない外国人であっても、決してゆっくりしゃべろうとはしない。例えば、これが日本だったとしたら、大抵の日本人は外国人に話す時(相手が聞き取りやすいように)無意識にゆっくり話してしまうのではないだろうか。中国人のこういうところは、私はすごくおもしろいと思う。


もちろん、「すみませんが、もう一度言ってください。」と言っても、二度目も同じく早口である。だから私は、そのセリフを言って二度目で聞き取れたことはあまりない。聞き取れなければ「請イ尓説慢一点儿(もう少しゆっくり話してください)。」と言うべきなのかもしれない。しかし中国人のこういうところは、外国語を学ぶ私たち留学生には、かえってよい環境を作っていると思う。会話の早さに慣れるのも早かった。


私は留学中、何度か中国人(主に先生方)と一緒に食事をする機会があった。私はずっと食堂などで食べる中華料理の油っこさに慣れていて、こういうものだと思っていたのだが、ある時、中国人の先生自らが作ってくれた料理はもっとずっとあっさりしていて、野菜が主だった。私はこの時、中国に来て以来初めて生野菜を食べた。食堂の料理はともかく、一般の家庭の食事は、実はもっと油分の少ないあっさりしたものなのかもしれない。


ただ、どの人の家によばれた時も、必ず食事にはビールがついており、飲むよう勧められる量が半端ではない。昼であろうが、夜であろうが関係はない。乾杯も、一度ではなく食事中に何度も行う。立ち上がったり、座ったままグラスを合わせたり、その場でグラスを机に軽くぶつけたりと、乾杯の形式もその時々で様々だった。


夕方頃、私が大学内を歩いていると、よく中国人の学生が社交ダンスの練習をしている光景を目にした。大学の体育館ではいつも週末になるとダンスパーテイが開かれている。その他、町の広場などでも夕方になれば社交ダンスを踊っている人達を見ることが出来る。先生に聞いた話では、中国のほとんどの大学生は社交ダンスを踊れるそうだ。その上、冗談か本当かは知らないが、北京などの名門校ではダンスの試験が必須であり、それに合格しないと卒業出来ないというのだから驚いてしまった。


私は中国に来る前、中国といえば朝、広場で集まって太極拳の練習をしているイメージがあったが、実際は少し違っていた。もちろんそういった光景も見られることは見られるが、大学生など若者はそれよりも社交ダンスに熱中しているようだ。


中国の大学内の光景でもう一つ私の目を引いたのは、学生達による軍事練習(こういう言い方が相応しいのかどうかわからないが)である。と言っても別に大したことをしているわけではなく、端で見ている限り、単なる行進練習のようなものである。だが何百人という学生が全員、あの公安が着るような制服を着て、行進の練習をしている光景は何かしら異様なものがある。少なくとも日本ではお目にかかれない光景だろう。なんでも、大学に入学した新入生達はみな、1ヶ月間この練習を一日中しなければならないそうだ。もちろんその間、授業はない。


私は単に行進練習をしているだけだと思っていたのだが、西安の大学に本科生として入学した留学生の話だと、発砲練習などの軍事的な訓練が、ちゃんと授業のカリキュラムに組まれているらしい。ということは、私が知らないだけで、ここの大学でもそういった練習は行われているのかもしれない。私は大学内を歩いていて、あの公安に似た制服を着た何百人もの学生とすれ違う時など、改めてここが中国であることを実感した。


私は一年間の留学期間中に、休みの日などを利用して何度か中国国内を旅行したが、そこでも中国ならではの貴重な体験をしたと思う。まず、国内の移動手段といえば汽車になるが、その切符が場所によっては非常に入手し難いのである。貴重な切符は、ダフ屋が窓口の係員と手を組んで買い占めてしまっており、一般の人がほとんど入手できない場合もあるらしい。手数料を払ってでも数日前に旅行社に頼む方が確実のようだ。


私は北京に旅行に行った際、北京駅で切符を買えなかった。外国人窓口と書いてあるところに行っても、今はもう外国人用窓口はない、と言われた。旅行社に電話しても売り切れとのことだった。途方に暮れて、帰る日を一日遅らそうと考えたが、偶然、北京に留学している日本人と出会い、情報を得ることが出来た。北京西駅には外国人用窓口があり、比較的切符の入手が楽だということなので翌日行ってみると、あっさり希望していた日の切符を買うことができた。


この他にも、本当に中国国内の汽車の切符については苦労させられることが多かった。なんというか、売り方や買い方に一貫性がないのだ。切符の入手の仕方は、地域によってかなり違う場合もあったので、現地の情報に詳しくないと、かなり苦労しそうだと思った。


それに比べ、飛行機の切符の入手はかなり楽だった。大都市発海外行き以外であれば、割と楽に買える。私は比較的田舎の街に留学していたので、行きも帰りも一日前にすんなり買えてしまうことが多かった。まだ、多くの中国人の間では、飛行機の利用率は低いのだそうだ。


また、中国という国は広いので、国内旅行といってもまるで違う国を旅行している気分になれるのがうれしかった。夏休みに一度、新彊の方まで行ったときには本当にそう思った。新彊自治区は中国のもっとも西北に位置しているが、なんと同じ国内で北京と約5時間の時差があった。顔立ちや人々の気質や文化もまるで違う。今は観光地といわれる場所にはどこでも漢民族の手が多く入っているので、北京などとあまり変わらない部分も多数あったけれど。


そして、とにかくどこに行っても日本人の旅行者は多い。新彊のバザールで物を売っている人のほとんどが日本語で客引きが出来たり、2〜3年前に流行した日本語を知っているのには、少々複雑な感じもした。


最後に、中国の祝祭日についての体験を書いておきたいと思う。中国には日本と異なる様々な祝祭日があり、それぞれの祝祭日に伝統的な過ごし方がある。例えば9月24日(元々旧暦によるものだから、毎年日付は変わるが)は、中秋節という祭日である。


日本でいう中秋節だろう。日本では中秋節は祝わないが、中国または韓国などでは実に重要視されているようだ。中国では、この日、月餅と呼ばれる饅頭をたべ、白酒を飲む習慣がある。月餅といっても種類は色々で、中身が餡のようなものもあれば、フルーツや肉のものもある。中秋節の2日前に街のデパートに行ったとき、月餅を買いに来た人達で店内は大いに賑わっていた。私も中秋節に日には授業が休みになったので、教室でクラスメートや先生方と月餅を食べながら、ゲームをして遊んだ。


その他、私の留学していた時は、ちょうど中華人民共和国成立50周年にあたっていたので、10月1日の国慶節も実に盛大であった。テレビでずっと北京のパレードが放送されており、中でも閲兵式の気合いの入りようには驚いてしまった。


夜には各都市で花火があげられた。またこの日のために、北京をはじめ、私のいる街でさえも、連日道路が工事され、新しく作りなおされた。街の至るところ「祝50周年」の看板が貼りだされ、まさに国慶節一色、という感じだったのを覚えている。


また、中国には「老師節(先生節)」という祝日もあり、先生に感謝をする日なのだそうだ。韓国にも同様の祝日があるらしく、日本にはない、というととても驚いた顔をされた。その日には、私の留学していた大学では、先生にボーナスのようなものが与えられるらしい。


私は一年間中国に留学して、日本にいる時には知り得なかったことを知り、体験することが出来たことをとてもうれしく思っている。もちろん、たった一年でひとつの国を知ることなど到底できないし、私もまた中国という国のほんの一部分を見たにすぎないが、それでもこの一年は私にとって学ぶことの多い一年であったと思う。教科書の上で勉強するだけでは知り得なかったことを、実際に中国で生活することで、自分の目で見、触れることが出来た。このことをとても貴重に思う。

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