千村(旧姓 松本)裕子 さん

略歴

1984年 京都産業大学外国語学部言語学科ロシア語専修卒業
(2009年4月現在)

 卒業後は蝶理(株)に就職、ソ連・東欧室勤務、ソ連からの代表団の受け入れなどに携わっていました。その後は大阪の貿易会社でロシア向け中古車輸出業務のアルバイトをしながら、通訳・翻訳の仕事をしてきました。日ソ渡り鳥条約会議、コウノトリ放鳥セレモニーの通訳、ワガノワバレエの夏期講習会、ガンバ大阪ロシア人選手の通訳、USJのパフォーマーの通訳のほか、工場研修、商談、観光など、様々な分野を体験させていただいてます。

 訳書に“ビキン川にシマフクロウを追って”(平凡社)、“北シベリア鳥類図鑑”(文一総合出版)
 私が大学生活をおくっていた頃、世界はまだ冷戦の時代。ロシア語をメディアで耳にする機会などほとんどなく、今のように留学制度も整っていませんでした。でもどうしても生のソ連に触れたくて、2年生の夏レニングラードでのサマーセミナーに参加しました。横浜から船でナホトカへ、夜行列車と飛行機を乗り継いでモスクワまで5日もかかる旅でした。初めてのモスクワ、レニングラードでは、街中いたるところにブレジネフ書記長の肖像画やプロパガンダ(“万国の労働者、団結せよ!”といった)が掲げられ、路上では闇ドルや外国製品を求める人に声をかけられ… まるで五木寛之氏の“青年は荒野をめざす”の世界でした。それでもあのときの圧倒的多数の普通のロシア人との出会いが、2つの国の人達をつなぐ仕事をしたいという気持ちになっていったのだと思います。翌年には一人でシベリア鉄道経由で東欧を旅しました。戒厳令下のポーランド、独裁政権のルーマニア、分裂前のユーゴスラビア、まだ壁で隔てられていた東ドイツ。もう今では歴史の教科書でしか出会えない国々です。

 1989年、息子が生まれた年にベルリンの壁が崩壊しました。ああ、この子は新しい時代の子なんだなあと思いました。まさに在学生の皆さんと同じ世代。皆さんは新しい時代で学んでおられるのですよね。今このときをしっかり見つめてください。昨秋の金融危機以降、厳しい状況ばかりが言われていますが、すべてを受け止めて、向き合ってみてください。ただ逆境ばかりではなかったと言えるときが来るように、今できることを精一杯やってください。

 私もまだまだ発展途上です。いっしょに頑張っていきましょう。

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