黒田 直明 さん

略歴

京都産業大学 外国語学部言語学科 イタリア語専修 1990年卒業
アリア株式会社 代表取締役社長
(2008年11月現在)

イタリア語との出会い

子供のときからの夢であった防衛大学校の入学試験に見事失敗し、完全に目標を失っていたときに、イタリアの扉に顔を向けさせたのは、高校時代の恩師であり声楽家でもあられる、岡田征士郎先生から教わった、たった数曲のイタリア歌曲でした。

当時私立大学で唯一イタリア語を専科として学ぶことのできた京都産業大学を受験し、入学しましたが、巷はバブル真っ盛りで、1回生のときに、「大学で何勉強しているの?」と聞かれ、「イタリア語。」と答えると、「そんなもん勉強してどーすんの?」と本気で心配されたりするような時代でした。

しかし一方で、当時イタリア語の主任教授だった阿部史郎先生が、編集委員を10年以上勤められた末にようやく完成したという、日本で最初の本格的なイタリア語辞書である小学館のイタリア語中辞典が、我々が入学した年に出版されました。それから20年以上たった今でも、これを超えるイタリア語辞典は出版されておらず、まさしくイタリアブームの黎明期に、素晴らしい先生方のご指導の下、イタリア語を京都産業大学で勉強することができたのは、  とても幸せなことであったと思います。

渡欧

当時、イタリア語専修の先輩たちは全員、2回生の夏休みか冬休みには、イタリアに短期語学留学していました。先生方も全員イタリア長期留学経験者でしたから、我々にも2回生になったらできるだけ早い時期にイタリアに行くよう強く勧めていました。

その影響を少なからず受けて、私も2回生の冬にイタリアに初めて渡り、強烈な印象と刺激を受けて帰国しました。その後は、それまで以上にイタリアへの想いが膨らみ、先輩方がすでに切り開いて下さっていた道でもあった、国際ロータリー財団奨学生として1年間ローマ大学文学哲学学部に留学させていただき、また卒業と同時に、外務省の在外公館派遣員として、在イタリア日本国  大使館に2年間勤務させていただきました。そしてそれらの貴重な経験を糧にして、そのまま イタリアに通算15年間滞在し、プロのイタリア語通訳としてさまざまな会議通訳、要人通訳をさせていただきました。

在学生の皆さんへ

私が京都産業大学に入学した当時は、まだまだ卒業後直接イタリア関係の仕事に就かれた 先輩方は、稀であったように記憶しています。しかしながら、それから20年、日本にはバブルとともに空前のイタリアブームが到来し、バブルは去りましたが、食文化やファッションを中心として、イタリアという国に対する愛着と好奇心は日本人の中にしっかりと根付いてきています。

ここに寄稿されている先輩方や後輩たちの活躍ぶりを見て本当に頼もしく思ったのは私だけではないと思います。京都産業大学のイタリア語を出たということに誇りを持って、それぞれが興味を持てる様々な分野で、他の人たちが持ちえないイタリア語のプロとしての素地を最大限に生かして、今後の日本のためイタリアのためになるような大志を抱き、是非それを貫徹して いただきたいと思います。

最後に、阿部先生が我々にいつもおっしゃっていた言葉を皆さんに送ります。
「イタリアはいいぜ、君たち。イタリアに早く行き給え!」
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