若林 聡子 さん

略歴

1981年 平安女学院高等学校 普通科 出身
1985年 京都産業大学外国語学部言語学科インドネシア語専修 卒業
1985年-1992年 (株)リードエレクトロニクス
1994年 国立ハサヌディン大学大学院インドネシア語学科 修了
現在 本学 他 大学非常勤講師
(2008年1月現在)
松浦健二先生・松岡邦夫先生・粕谷俊樹先生・左藤正範先生にインドネシア語を教えていただき、京産大を卒業し、現在は非常勤講師として、母校でお世話になっております。

大学時代

学生時代は、はるか昔のことになってしまいました。当時も今と同じく、インドネシア語は1クラスしかありませんでしたから、4年間同じメンバーで、同じ席で、ひたすらインドネシア語の授業に没頭しました。記憶に間違いがなければ、現在とは違い、1年生で7科目、2年生で6科目、3年生で5科目、4年生で4科目インドネシア語の授業がありました。松浦健二先生の毎回の「黒板に出て!」の一言に、プレッシャーを感じつつ、4年間を過ごしました。暗記の苦手な私が、前回の授業一回分の単語と文章を毎回覚えていたのですから、若いというのは、すばらしいことだと思います。そのときの記憶力が今もあればと何度思ったことか…。

会社勤めの後、留学

卒業後、地元の中小企業(エレクトロニクス関係の会社)に就職しました。仕事でインドネシア語を使うことは一切ありませんでした。仕事中心の3年間をすごしたあと、趣味としてインドネシア語を続けるべく、留学生との交流や民間のインドネシア語教室に積極的に参加するようになりました。働きながら、京都府国際課でインドネシア語通訳のアルバイトをしたこともありました。また、京都インドネシア留学生会のメンバーとともに唯一の日本人の実行委員として、全国インドネシア留学生大会開催に取り組んだのも懐かしい思い出です。

その後、7年半勤めた会社を退職しました。思いがけずその1年半後、インドネシアに留学をすることになりました。留学先は、インドネシア・ウジュンパンダン(現在のマカッサル)にあるハサヌディン大学大学院でした。この大学を選んだ理由としては、日本人がほとんどいないこと、文学ではなく語学の専攻であったことなどがあげられます。
そのときは、まさか自分が卒業後8年もすぎてから留学するとは思いませんでした。それも大学院の修士課程に入るとは無謀の一言でした。まるで大学生のクラスに小学生が迷い込んだような環境でした。ただただ大学と下宿の往復の毎日でした。しばらく、課題のレポートも書けず、友人の下宿に通い、教えてもらいました。何とか1人で書けるようになったときには最終セメスターになっていました。卒論発表のときには、友人の下宿で何度も練習しました。そして、指導教授や友人に恵まれたおかげでなんとか無事修士課程を修了することができました。1996年12月30日のことです。

大学院卒業後は、しばらく残り、母校のハサヌディン大学の観光学科で日本語を教えたりしながら、JICA(国際協力機構)のプロジェクトで通訳の経験もつむことができました。大学院を卒業してからは、楽しく充実した毎日を過ごしました。ホームスティ(下宿)先とは、現在もまるで家族の一員のようなお付き合いです。帰国後は、毎年再会を楽しみにインドネシアへ足を運んでいます。その土地の印象は、現地での人との出会いによって決まると思います。充実した留学生活を過ごせたのも、この大家さん一家と出会えたおかげであると感謝しています。

1998年から母校にもどり、教壇にたっています。学生時代には全く想像もできないことです。社会人になってからも思ってもいなかったことだったので、今でも信じられません。何事も、巡り合わせというものは、本当にタイミングだと思います。一年早くてもまた、遅くても出会うことはできないといつも実感しております。
学長と大学院長ご夫妻と(卒業式の日)
大学院卒業式

学生の皆さんへ

「よい人間関係」を築くには
母校に戻った当初微笑ましく、またうれしかったのは、大学にバスが到着し、学生が降車するときにほとんどの学生がドライバーさんに「ありがとうございます。」といっている姿を見たときでした。その声が、ここ最近どんどん減ってきてしまいました。残念なことです。「あいさつをする」ことは、大事なことであると思います。そんな、あいさつをできる産大生であってほしいと思います。良い人間関係を築くのもあいさつからではないでしょうか。

「視野の広い人」を目指して
大学時代には、いろいろな年代の方々と出会い、語り合うことは大切なことだと思います。人の意見に耳を傾けることのできる力を養うのも大切なことですが、自分の意見をいえる人になることも必要です。海外では、自分から言い出さない限り、誰も助けてはくれません。社会に出てからも同様です。そのためには、「好奇心」を持って学生時代をすごしてください。そして、見聞を広め、視野の広い人になってほしいと思います。

最後に

最後に、恩師の先生方をお手本とし、後輩のみなさまが充実した学生時代をすごすことのできるよう、そして、京産大でインドネシア語を勉強してよかったと思っていただけるよう、少しでも貢献できればと思っております。
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