工藤 千鶴子 さん

略歴

北海道旭川東高校卒業
外国語学部ドイツ語学科 1983年3月卒業
アメリカ在住
Inlingua Language School
Learn Language School
日本語教師
(2007年10月現在)


 
 

 こちらはもう少しで、ハロウィーンです。この行事もアメリカに来てこれで8回目となりました。私が住んでいるこの町は、NYから車で45分くらいのところで、NJ州にあります。私は今ここの語学学校で日本語を教えています。 生徒は主にアメリカ人の小学生から高校生で大人もいます。それから夏休みは大学生も習いに来ます。動機は日本のマンガが好きでそれをきっかけに習いにきた生徒や、両親の一方が日本人だったりいろいろです。ドイツ人で日本旅行のために習いにきていた人もいました。みんな本当に熱心で漢字も書ける生徒も多くいます。大人のかたですが、村上春樹の本を日本語から英語に訳している人もいます。その熱心さに心動かされて、私もできる限りのことをしたいと思う毎日です。そして私の生徒の中で一人でも将来、先生としての私が何かしらその人の人生に影響を与え、すてきな経験をもたらしたとしたら、こんなにうれしいことはないと心密かに思っています。 もし、これを読まれているみなさんの中にも、日本語教師になりたいと思っている方がいらっしゃるとしたら、日本語を習いたい人たちは必ず世界中にいると思いますから、ぜひがんばってくださいね。 わたしは履歴書を近くの語学学校すべてにだし面接も受け、待つこと2年でやっと仕事に就きました。その間も時々学校に近くまで来たのだといって顔をだしたり、電話でまだここにいますよといったり、コンタクトを取りつづけていました。アメリカでは待っているだけではなにも始まらず、でもその一方意思を伝えれば、夢がかなうところでもあるのかもしれません。

 

 実は今ドイツ語のブラッシュアップを試みています。私のドイツ語は、あれほどまでに勉強をしたのにもかかわらずかなり忘れかけていて、とても残念に思うことが多くあるからです。不思議なことに大学での4年間で学んだいろいろなことが私にもたらした影響はとても大きいもので、もしかしたら言葉の勉強はそのこと自体をはるかに越えるているものなのかもしれません。もし一カ国語だけしかしらない私だとしたら、なんてつまらない人生なことか、また当時から英語も好きで語学学校に通ったりよく勉強していました。でも英語だけしか知らない私も考えられません。本当に不思議に感じます
去年の夏、私の教えていた高校生のお母様から彼が卒業するときにこんなことを言っていただきました。“あなたは彼に日本語という語学のすばらしいプレゼントをしてくれました。ありがとう。”彼は今も大学で日本語の勉強を続けています。そしてこの夏、来学期からは中国語も始めると言って、目を輝かせていました。

 

 さてここNJ州は、製薬会社がたくさんあり、世界各国の人が働いています。ですから、国際交流の場がたくさんあります。
私は、一つにOshaberi kaiというグループに入っています。これは日本人や日本に住んでいたことのある人のための国際交流を目的としたグループです。
写真の一つは、先日そのメンバーのドイツの方がOktoberfestにちなんででパーテイーをされたときのものです。青と白のテーブルクロスにナプキン、それからドイツのビール、OktoberfestのCDもかけてありました。もちろんドイツのソーセージとビールもあり、学生時代に参加したドイツ研修旅行のことを思い出しとても感激しました。

 

 また Music Appreciation Group にも主人と一緒に入っています。
年に何回かピアノや歌などの日ごろの練習の成果を発表しあいます。私も二年前からピアノを主人から習い始め、いつも発表の日は私にとって最高に緊張する日になります。また、歌も好きで日本で習っていたので、今はクリスマスに向けて“Die Fledermaus”中からの一曲をドイツ語で歌うつもりで、友人のピアニストと一緒に毎週練習をしています。
この練習の時間が私はとても好きで、必ずお昼ご飯を一緒に食べていろいろなことを話し合います。知らない英語の単語もちょっと教えてもらえます。
去年のクリスマスパーティーでは、きよしこのよるをドイツ語、英語、日本語で歌ったのがとても楽しかったです。メンバーにはドイツ人やアメリカ人がいるので、それぞれの国の人がそれぞれの言葉で歌ってみました。
他にも、Quilting, Book club、Wine tasting、Bridge、Cooking、Kaffeeklatshなどたくさんの楽しい活動があります。

 

 こうしてやっとこちらの暮らしにも慣れてきました。でも私にとっては、仕事も友達も何もないところに急におかれ(主人の転勤できたので}、そこからのスタートは本当に大変でした。
もし将来わたしのように外国暮らしをされることがあったら、どうぞそのようなクラブを探してみてください。
わたしがはいっているのはInternational Friends Clubです(www.ifc-njandny.com)。

 

 そして今、遠く日本を離れて日本では当たり前だった事にとても感謝しています。おいしい食べ物や、日本のすばらしいサービスなどいろいろです。中でも美しい日本の文化を、とても誇りの思うようになりました。
今までは窮屈でしかなかった着物も、日本文化の紹介の機会に恵まれ、それをきっかけに大変興味深く美しいものと思うようになりました。
そしてとてもよい先生とめぐり会いもあり、その先生のおかげでますます興味が増し自分で着れるようにまでなりました。今は機会をみつけては着ていくことにしています。これも日本文化の普及の一貫だと大げさに思ったりもしています。

 

今年の夏は久しぶりに京都へ行きました。 そしてゼミで大変お世話になった山辺先生にお会いして退職のお祝いもできました。また先生のお蔭でほとんど卒業以来会っていなかった同級生とも会うことができ、大変楽しいひとときをすごさせていただきました。ありがとうございました。

 

 今、皆さんはあらゆる可能性も秘めていて、私の話が何かの役に立つかどうかわかりませんが、私にも世界はどんどん小さくなったいるように思います。外国語学部という恵まれた環境の中、国際社会への1歩を踏み出す準備として、有意義な時間を過ごされるようにと一卒業生としてお祈りしています。がんばってくださいね!

 
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