横山 友美 さん

略歴

学歴

2005年 大阪府立池田高等学校卒業
2007年2月 ガジャ・マダ大学(ジョグジャカルタ)留学(〜2008年1月)
2009年 外国語学部言語学科インドネシア語専修卒業
2010年7月 インドネシア大学留学(〜2011年7月)
2012年 東京外国語大学 大学院総合国際学研究科 博士前期課程 地域・国際専攻 地域研究コース修了

職歴

2012年 株式会社Nifco入社


近況



 インドネシアに関われる仕事がしたい。でも日本の企業で働くという経験をしたいとの学生時代からの思いもあり、現在は日本に本社を置くプラスチック部品メーカーの自動車部品の部署にて、主に海外拠点の営業サポート業務をしております。ここ一年はアメリカ関係の業務が主ですが、インドネシアにも生産工場が立ち上がり、力不足ながら担当しております。今でもアメリカに電話する時は、インドネシアに電話するより大分緊張しますが、大学時代に学んだCoba(挑戦する・チャレンジする)の精神を大切に、インドネシア―日本を繋ぐ懸け橋、インドネシア駐在・世界を股にかけるビジネスパーソンを目標に製品の知識・仕事の進め方等を日々勉強中です。

 

学生時代

 入学して初めに左藤先生に教わったインドネシア語、Cobaの精神を体現したような学生生活でした。留学は入学時には決意していたので、留学前の2年間は留学資金を調達すべく、大阪の片道2時間半の実家から毎朝6時台の電車に乗り、アルバイトを2つ掛け持ちし、とにかくがむしゃらでした。インドネシア語の予習・復習は主に通学中の電車の中と授業前のコーヒーを飲みながらの30分で行う、あまり真面目な学生とは言えなかったと思います。

留学生活

 2回生の終わりから3回生まで、インドネシアのジョグジャカルタにて語学留学をしました。大学の近くにある女子専用の下宿を探し(イスラム教が多い地域で男女の下宿は別れていることが多かったのですが)、初めての一人暮らしも、にぎやかで家族のように心の距離が近い下宿の友人たちと楽しく過ごすことができました。「一度会ったら友達、二度目に会ったら親友」と表されるように、下宿先の友人だけでなく外国人である私を、自分でも日本人であることを時に忘れられるくらいに自然に受け入れてくれたところは、多民族のインドネシアならではなのかもしれません。

 大学では1セメスター目に外国人のためのインドネシア語コースでインドネシア語を勉強しました。韓国人・ドイツ人のクラスメイトと放課後に遊びに行ったり、習いたてのインドネシア語で一生懸命コミュニケーションを取るのが楽しかったです。数人とは帰国後も連絡を取り合い、お互いの国に遊びに行ったりしています。 2セメスター目は、インドネシア人学生と一緒にジャワ語や文化人類学、ジャワの民族楽器の授業も履修しました。授業に出てくる用語がさっぱりわからず、インドネシア語の国語辞典のようなもので調べ、その内容を日本語―インドネシア語辞書で調べることの繰り返しでした。放課後は個人的にバリのガムラン音楽(民族楽器)を習いに行ったりもしました。

日本語教員養成コース

 必修で履修したインドネシア語のほかに、副科で日本語教員養成コースを履修しました。正しい日本語を見つめなおす機会になりましたし、留学中も卒業後もボランティアで外国の方に日本語を教える機会や、日本に来ている外国人と話す機会は意外と多いため、今でも役に立っています。決められた時間で授業を運営するために、細かい指導案を考える練習をしたのは、教職につかなかった今でも、仕事の進め方を考える時に思い返すことがあります。

後輩へのメッセージ

留学を目指すなら

 京都産業大学のカリキュラムでは1年留学しても、留学先で取得した単位を卒業の単位に交換でき、4年で卒業できるところが特色であり、魅力です。 私が留学したジョグジャカルタという街は、2つの世界遺産(ボロブドゥール仏教寺院、プランバナン)へどちらも30分で行くことができるというだけでなく、物価も安く、治安も良いのでお勧めできます。また、同級生が各地に同時期に留学するので、お互いの留学地に行くこともできます。

インドネシア語専修の特色

 インドネシア語専修の特色として、同級生はもちろん先輩後輩の仲が良いことを挙げることができます。留学実績もありますので、どの留学先にするか悩んでいるときや、準備中も、留学された諸先輩方にいろいろお話を伺うことができました。卒業後も現在まで連絡を取り合い、時に会って話もできる関係です。

 また、先生方にもとても恵まれています。卒業後の進路に悩んでいた時、先生方にはたくさん相談に乗っていただき、アドバイスをいただくことができました。

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