増田 順哉 さん

略歴

2009年 京都産業大学外国語学部ドイツ語学科 卒業

在学中の思い出

はじめまして。2009年卒業の増田と申します。卒業は2009年なのですが、入学は2003年です(笑)通算6年間卒業までに要していますが、その間にどんな楽しい事があったのか、思い出しながら書いてみます。少し変わっているかも知れませんが、大学生活の中でこんな事も出来るんだと参考にして下されば嬉しく思います。

ドイツ語学科に入学した動機は今となっては曖昧です。何かと理由を付けてドイツ語を選んだのは確かなのですが、その後はドイツ語と関わる事もなく、普段の生活では完全に忘れているので、やはり確固たる目標があった訳ではないようです。ただ、ドイツ語やドイツは大好きになりました。オリンピックやサッカーなど、無意識にドイツの選手を応援していますし、仕事柄、世界経済の動向をチェックしているとドイツはEUの中心として大きな役割を担っている事が分かります。メルケル首相が再選された事で、今後はドイツの動きに世界が注目していく事になるでしょう。

在学中はそんな事を考えていた訳ではなく、慣れない言語に悪戦苦闘していた記憶があります。とりわけ1回生は大変でした。下宿生活とアルバイト、お風呂の中ではRの発を練習して、睡眠時間をできるだけ短くして勉強し、一般教養の時間に睡眠を補ってバランスを取っていました(笑)言語に限らず基礎は要ですから、最初はいっぱい苦労して下さい。後が楽になりますし、楽しくなれば勝ちです。

華のキャンパスライフですから(古い)遊びも欠かせません。「基礎」と前述しましたが、コミュニケーションや、社会人としての基礎もここで覚えて下さい。主に人間関係ですが、友人だけでなくバイト先の同僚、在学の先輩やOBの方々、そして何より教授と交流を持って下さい。どんどん年上の人との交流を持って下さい。時には叱って下さるし、間違いをいっぱい教えて下さいます。大学生は社会人になるまでの猶予期間です。まだまだこどもです。でもおとなとしての行動が求められます。お酒の席も少しずつ増えてきますので、礼儀作法やお酒の飲み方を覚えて、何より楽しさを知って下さいね。

時には授業をサボる事もありました。2回生の後半にはドイツに留学し、3回生になった時には自宅から通っていましたので、片道2時間の道のりです。大学に着いてエスカレーターを上がったら、一番仲の良い親友がいました。その親友は神戸まで帰る所だったようで、一緒に須磨海岸に行こうと誘われ、そのまま私は一緒にバスに乗り、電車を乗り継いで須磨に行きました。須磨に着いたら夕暮れで、寒くて海には入れません(笑)それから飲みに行って、将来の夢や希望を語り合いました。そんな事がかけがえのない思い出になっています。でも、あまりサボっちゃダメですよ。たまにです、たまに(笑)

現在の仕事について

現在は、個人事業主として金融関係の営業をしております。事業主ですので、報酬も自分で決めて、自力で仕事を作っています。やりがいも多くありますが、能力次第という事もあり、不安の尽きない日々もありました。今も日々勉強を続けていますし、勉強した分だけお客様のお役に立つ事が出来て、報酬もそこに伴ってきます。こんなハードな業界に至ったきっかけはドイツ留学でした。ドイツ留学と金融は結びつかないのですが、私の中ではすべてが一本の線で繋がっています。

入学前から海外留学は目標のひとつにありました。当時、提携の大学は2つあったように思いますが、私の希望条件と合わなかったので、自分で留学先を探しました。マンハイム大学を見つけ、そこの語学学校であれば単位認定してもらえるという認可を取って、先生方に助けて頂きながら留学が決まりました。現地では下宿先を探すところからスタートしました。行き当たりばったりですが、たいていの事は何とかなるものです。この留学を契機に今では京都産業大学と提携があるようですので、住む場所も決まっていないなんてリスクは無いだろうと思います。

恥を忍んで書きますと、大失敗の留学生活に終わりました。人見知りだったのでコミュニケーションがうまく取れず、半年間まったくドイツ語が上達しないままの帰国となりました。自信と期待を持って日本を出ましたが、惨めな思いで関西国際空港に戻ってきました。二度とドイツには行きたくないとさえ思いました。現地では気分も沈み、アルコールに溺れた事もありました。コンプレックスの塊で何度も逃げ出しそうになりましたが、島先生にメールで助けてもらい、何とか日本に帰って来れました。

そこから私はコンプレックスを克服するために、人と関われる場所を作ろうとカフェ・バーを作りました。大学を休学して、仲間を集め、事業計画を作ってお金を借りて、無事に神戸にオープン出来ました。

このお店が軌道に乗った段階で、大学を退学し、1年が経った時にお店は権利ごと売却しました。その後、自分の力を試したい、再チャレンジしたいという一心で、ドイツのワインメーカーに就職しました。そこで1年働いて、新人賞や西日本トップクラスの実績を作り、退職して大学に再入学しました。勤めていた会社からは「学校帰りの3時間だけ寄ってくれたら、同じ給与を出す」とまで言って引き留めて頂きました。しかし卒業後の仕事も決めていましたのでお断りし、1年の大学生活を経て卒業し、今の業界に飛び込みました。収入のない辛い1年間でしたが、妻の助けを借りて卒業する事が出来ました。

皆様への一言

皆様にとって成功とは何でしょうか?家族にも、仕事にも、人間関係にも恵まれた環境で生活しています。成功者かどうかは分かりませんが、私は幸せです。書いていて思い出しましたが、この人生は学生時代の「大きな挫折」から始まっています。初めての挫折だったように思います。その後の社会人生活で失敗も数多く経験していますし、今も失敗ばかりしているように思います。ただ運が良かったのと、良い縁に巡り合えた結果が今の私です。

他人を知るという事は自分を知るという事です。他国を知れば自国が見えて来ます。失敗は大きいほど、自分に何が足りないのかを教えてくれます。是非、海外に行ってみて下さい。日本が好きになれなかった私は、ドイツに行って日本の素晴らしさに気付けました。今では日本が大好きですし、この国を少しでも良くしていきたいと考えるようになりました。海外で暮らす夢は諦めましたが、今の状態には非常に満足しています。

可能であれば先進国だけではなく、できれば発展途上国も見て来て下さい。どこに行っても気付きがありますし、日本の良いところ、足りないところが見えて来ます。社会に出たらヨーロッパはとても遠く感じてしまい、なかなか行けないかも知れません。外国語を学ぶからには、今のうちに留学も経験して頂きたいです。奨学金制度など、使える特権は全部使って、経験をたくさんして下さい。

大学生活は猶予期間です。今しかできない事をやってみて下さい。出来れば失敗して、たくさん叱られてください。社会に出たら、誰も叱ってくれません。もし叱ってくれる人がいたら、その人は貴方の事を本当に考えて下さっている人です。たいていは見限られて終わるだけです。自分の為に怒ってくれる人との出会いは、人生を変えてくれます。

最後になりますが、これまでの私の経験を語るに欠かせないものは、縁です。すべての行動に様々なご縁があって、今の私がいます。大学を卒業できたのは両親おかげですし、留学は先生のおかげです。友人にもたくさん助けてもらいましたし、家族に支えられて目一杯の仕事が出来ています。良かった出来事は誰かのおかげと感謝します。悪かった出来事や失敗は自分のものです。人は失敗からより多くを学び、成長するのだと思います。経験した事は誰にも奪えないし、無くす事もありません。何も恐れず、どんどんチャレンジして、経験値を増やす時間にして下さい。
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