多田 勇太 さん

略歴

出身高校:香川県立高松桜井高等学校
2007年3月 外国語学部言語学科インドネシア語専修卒業
勤務先:(株)NBCメッシュテック
管理部 総務・人事チーム
(2011年7月現在)


 私は、現在日清製粉グループに属する:(株)NBCメッシュテックというメッシュクロスを製造・販売している会社に勤めています。日清製粉グループと言いますと、食品を連想される方が多いかと思いますが日清製粉グループの中で唯一食品を扱っていない会社でグループ内では特異な存在です。元々は日清製粉の小麦粉を篩う篩網の国産化を目的に設立された会社です。私はインドネシアに関連した仕事に就きたいと思い、インドネシアに生産子会社を所有するこの会社に入社を決めました。今年で入社5年目になりますが、まず入社後の経歴を簡単に紹介します。私が入社後、約9ヶ月の研修を経て初めに配属されたのが、工場でメッシュクロスの生産管理を行う部署でした。約1年間工場で勤務した後、総務・人事チームに異動になり、採用活動や新入社員研修などの業務に携わりました。今年の採用活動では京都産業大学の合同企業説明会にも参加させて頂きました。母校と関わりが持てる仕事が出来、非常に嬉しく思いました。また、今年の7月からは、念願のインドネシアの生産子会社での半年間の長期出張が決まり、学生時代に学んだインドネシア語を活かしながら日々仕事に打ち込んでいます。

 大学時代はインドネシア語を専攻していましたが、振返ってみると元々、大学で剣道をしたいという思いで入学したため、初めのうちは勉学に対してあまり真剣に向き合うことが出来なかった自分がいたと思います。体育会剣道部に所属し、週6回練習に励みながら、インドネシア語を学ぶ毎日でした。しかし、インドネシア語は、非常にとっつきやすい言語だったので、気付けば文法や単語を覚えることにのめり込んでいました。また、クラスメイトにも非常に恵まれました。私の同級生は、男子15名、女子15名と年齢の近い先輩方に比べて同期が多かったことに加え、2回生時には、アチェの大地震が起きましたので、募金活動などで同級生の枠を超え、先輩、後輩との結束も強くなったのではないかと思います。

 3回生時は、インドネシアのバンドゥンにあるパジャジャラン大学に留学しました。初海外がこの留学でしたので、とても不安な気持ちで出発したのを今でも覚えています。初めのうちは、相手の言葉が全く聞き取れず、日本で学んだインドネシア語は「書き言葉」(日本でいう国語の授業)のようなもので、日常的に使う「話し言葉」と全く違うことを感じました。留学して4ヶ月経過しホームステイをするようになったのがきっかけで、次第に相手の言葉が聞き取れ、自分の言いたいことを話せるようになりました。
 また、ホームステイ先の家族や友達にも恵まれ、留学は非常に充実したものになりました。
 帰国後、周りの人に比べてかなり遅れて就職活動を開始しましたが、その頃はインドネシアで働く事に対して迷いがあり、また自分はこれからどのように生きていこうと非常に悩んだ時期でした。そんな時に恩師の左藤先生とお話をする機会があり、「留学でお世話になった人への恩返しは、生涯の中で君が出来るだけその人たちと長い間交友関係を持ち続けることだ。」という言葉を頂き、インドネシアで将来働く決心をすることが出来ました。

 最後に、後輩の皆さんへ私が伝えたい事は、学生時代に将来自分がどのような人間になりたいのか、どのような仕事がしたいのかしっかり考え、それに必要な知識を身につけて、社会人になる為の準備期間にして下さい。また、今後グローバル化がより一層進み、言語を活かせる機会は確実に増えますので、専攻されている言語を是非身につけて頂き、将来のご自身の糧にして頂ければと思います。

 
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