平野 佳寿 投手×山田 幸代さん対談

お二人はお互い学生時代から、ご存じでしたか?

平野:はい。あまりラクロスという競技を見たことが無かったのですが、その中で山田さんがすごく活躍していると聞いていました。

山田:平野さんは野球をすごく頑張っているというのをよく聞いていました。あとは、同じ授業をとっていたのですが、硬式野球部の選手たちはいつも一番前で授業を受けていて、勉強も頑張る人なのだと感心していました。

平野:授業には絶対出ていました(笑)

お二人とも大学時代に過ごした時間はすごく影響が大きいと思います。 たとえば平野さんであれば、大学で野球をやってきた4年間をどんな風に考えますか?また、山田さんは中学、高校と続けてこられたバスケットボールからラクロスに転向した理由は何ですか?

平野:プロに入れると思ってやっていたわけじゃなかったので、すごく楽しんでできました。厳しい練習の中でしっかりメリハリつけてやるのが大学野球なのだなと思いました。

山田:私はバスケットボールを6年間思いっきりやったので、大学に行ったら何もせず、花の女子大生をしようと思っていたんです。でも、いざそうなると情熱をかけるものが何もないのって自分の中でやっぱり物足りなくて(笑)その時にたまたまゼミの友達がラクロスをしていると聞いたんです。私はその時、ラクロスというスポーツを知らなかったので、知りたいというのもあって見学に行ったのがきっかけです。そこからずっと続けているのは、やっぱり楽しいからですね。

大学時代の4年間で、得たものは何ですか?

山田:得たものはたくさんあるんですけど、やっぱりチームや仲間との結束ですね。あとは、バスケットのようなメジャースポーツであれば、練習場所やメンバーといった環境が整っているのですが、ラクロスは、あまり知られていないスポーツだったので、バスケットの様に引かれたレールの上を走るのではなく、グラウンドを探しに行ったりだとか、無いものを得ていく楽しさを大学で学んだというのはすごく感じますね。

平野:山田さんが言ったように、友達が増えて、すごく交流を深められたというのはあります。もちろん野球をプロでやっていけるくらいまで、体力や精神力などいろいろなものを、大学に行って学びましたし、すごく感謝していますけれど、野球だけではなくて、人間というか、大人になるためのすべて含めたところを教わった場所でもあるのかなと思います。
高校からプロに行くというのは本当にすごく才能がいることだし、いいことだと思います。でも大学で過ごした4年間は僕にとって、絶対プラスになったことなので、大学に進学して良かったなと思います。

野球とラクロスという全然違った競技ではありますが、大学の中でお互いの存在というのはどんな感じでしたか?

山田:京都産業大学って、私たちがいる時代から、横のつながりが深くて、野球部とラクロス部、ラグビー部とバスケット部とか、みんなすごく仲が良かったんです。そういう体育会同士で刺激しあえる関係だったので、私もよく野球やラグビーの試合を観に行ったり、いろんなところに足を運んでいました。
その中で、頑張っている人を見て、刺激をもらって、こうやって情熱を与えられる人に自分もなっていきたいと思える見本がたくさんあった。平野さんもその中の一人で、平野さんが投げるとみんなが期待するというか。これは絶対勝ってくれるとか、抑えてくれるとか、人に楽しみを与えたり、チャレンジしていく姿を見て、自分たちが刺激を受けていました。  私たちやスポーツをしている人たちだけじゃなくて、いろんな仕事をされている人たち、小さい子供たちも、こういう人になりたいと思える見本が近くにあるっていうのはすごくいい環境だったなと思います。

平野:その時、僕は一年で、山田さんは二年でしたけれど、同じ学部で知り合って、すごく良くしてくれました。学生時代はラクロスという競技をあまり知らなかったのですが、後に山田さんが日本で初めてプロ選手になられて、日本全体にラクロスを広めていこうという活動をされているのを見ていて、頑張ってほしいなと思っています。
さっき山田さんが言ってくれたように、誰かが頑張ることで皆が頑張るきっかけになるというのは僕もその通りだと思います。山田さんはすごくいいライバルで、ラクロス界のパイオニアとして、一から作り上げているというところをすごく尊敬しています。

確かに、スポーツによって伝統や文化が違うと思います。ただ、新しいものをこれから作り上げていく難しさもあれば、伝統を守っていく難しさも当然あると思います。

山田:私の中では「伝統」と「伝送」って違うと思っています。「伝送」って、いいことも悪いことも全部伝えていくけれど、「伝統」って、いいところを抜粋しながら、自分が残していく、足跡をつけていく。そういうことは誰もができることじゃないと思います。それを野球っていう大きな世界の中で、結果を出していくというのは並大抵の努力ではできないと思うので、私も平野さんをすごく尊敬しています。

京都産業大学を目指す人、あるいは京都産業大学の後輩に向けて、母校をアピールしてください。

平野:僕は野球をやっていたので、野球部の話をさせていただくと、野球にすごく一生懸命打ち込みますが、その中で勉強もしっかりやれというのが野球部の方針であり、監督の考えでした。だから、ただ野球をやっていたらいいというわけじゃなくて、野球をやっていく中で、しっかり授業に出て、先生の話をしっかり聞くといった大学生の本分を忘れないようにできるのがうちの大学だと思うんですね。
他の部も一緒だとは思いますが、スポーツだけやっていたら、後で困っていたと思うので、しっかり勉強しようとしたことは良かったと思います。そういう環境がいい大学だったなと。
それに学食がすごく美味しかったので、勉強以外でも大学自体が楽しいと思っていました。体育会クラブに入っていない人たちとも、授業まで時間が空いていたら、学食とかでみんなで楽しそうにしゃべったりして。そういうのって大学ならではじゃないですか。それに大学のキャンパス内のいろんなところに学生が集まれる場所があったので、すごく楽しかったです。

山田:一言で言うと、私は大学生活が今までの人生で一番楽しい4年間だったんです(笑)それは大学の環境もそうですし、先ほど言ったように横のつながりでいろんな人たちと仲良くなれるし、京都産業大学は人が良かったです。「どんどんチャレンジしよう」というチャレンジ精神を持っている人が多い。だから、こちらも刺激を受けてチャレンジする。
総合大学である京都産業大学が、一つのキャンパスで、全員が同じ環境で同じ勉強をして、いろんな人と関わることができて、チャレンジする人たちを誰もがその場で見ることができるというのは、すごくいい事だと思います。いろんな人たちが集まって、元気のあるチャレンジをする人たちが集まるっていうのが印象的で、私はこの大学を選んでよかったなと思います。
そこから学ぶことや、京都産業大学でしか学べないことというのがたくさんあると思うので、そういう場を大事にして、チャレンジする人たちを見て、見た人たちもどんどんチャレンジしていってほしいなと思いますね。チャンスはたくさんありますから。

今後の抱負について

平野:今年は戦力も整ってきましたし、僕自身、もう8年目なので引っ張っていく立場だと思っています。甘えてばっかりじゃなくて、僕がしっかり引っ張って優勝し、クライマックスシリーズに行けるようにやっていきたいと思っています。僕自身の成績も今までよりいい成績を上げられるように、シーズンを終えて今までで一番よかったと思えるように頑張っていきたいと思います。

山田:私は、子供たちに「ラクロス選手になりたい」と言ってもらえるようなスポーツにするというのが大きな夢なので、その夢を叶えるために、短期目標として、今年のオーストラリアのサウスオーストラリア州リーグで優勝すること。そして中期目標として2017年のワールドカップで金メダルを取ること。段階的に挑戦し、そして最後の目標を達成できるように頑張っていきたいと思います。

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