有職御人形司 十二世 伊東 久重家 伊東建一さん × 山田 幸代さん対談

※所属・肩書は取材時のものです。(2013年12月)

まずはお仕事についてお伺いしたいのですが、今のお仕事をされているのは、やはり幼い頃からご両親の影響があってのことですか?

両親は仕事をやれとか家を継げというようなことは言いませんでした。子供の頃から色々な方が「伊東さんのところは男の子だから安心やね」と話しているのを 聞いて、「自分がやらなくては」と思うようになりました。やはり家族に喜ばれたいという意識がありましたし、幼稚園に行く前から「大きくなったら人形作 る」と言うと単純に家族みんなが喜んでくれるので、言い続けているうちに自然とこのようになったという感じですね。
中学生の頃、初めて父の個展に行き、すごく立派なところに父親の人形が並んでいるのを見て「自分もこのようになりたい」と父親に対する憧れのようなものを 感じました。私の子供はまだ小学生と幼稚園児ですが、次に私が個展をする時に、その姿を見てどう思ってくれるのかな、と思っています。

小さな頃からなりたいものが変わらないっていうのはいいですね。 夢は変わらずずっと同じでしたか?

節目、節目で色々と思うことがありましたね。
特に大学のときは、友達がいろんなところに就職活動しているのを見て思いました。私は父親からすぐに家の仕事に入るように言われていました。結局、卒業し てから二年間はいわゆる京都の老舗といわれるところで社会勉強をさせていただいたのですが、やはりこの仕事以外にやりたいなと思う仕事はなかったように思 います。

京都産業大学での学生生活はいかがでしたか?一番の思い出をお聞かせください。

もともと美術系の学校に行こうと思っていたのですが、父親から「人形作りは自分が教えるから、もっと他のことを勉強して視野を広げてきたらいい」と言われ、京都産業大学経営学部に入学しました。 一番の思い出は、やはり神山祭ですね。仲のいい友達と模擬店を出したりして楽しんでいました。今日は車で来たのですが、車で大学の中に入ったのはその時以来かなと思います(笑)
ちょうど私が在学しているときに神山ホールができました。創立25周年を記念して大学が色々と動いているときだったと思います。
当時の学生の雰囲気は、世間のイメージとして『京都産業大学には、勢いのある元気な学生が多い』という見られ方をしていたのを学生もみんなわかっていました。そのため、今のこの勢いを自分たちも持続させていこうという意識が強かったように思います。
学生時代も家の仕事が忙しいときは仕事を手伝っていましたね。家が仕事場なので、いくら大学生といっても家に帰ったときにみんなが仕事しているのを放って「ちょっと遊びに行ってきます」というのはやりづらかったですし(笑)
友達が通学に使っている時間を自分は家の手伝いに使っているというように思っていました。

学生たちに向けてメッセージをお願いします。

勉強でも何でも、“やるかやらないか迷った時はやった方がいい”と思いますね。恥ずかしいからやめておこうとか、難しそうだからやめておこうとか、こんな こと自分だけいいかっこするのはちょっと照れくさいなとかいう時もやった方がいい。まず行動することが大切だと思いますね。
私の仕事は、一年かけて人形を作っていきます。木を彫るところから一年後の顔を描くところまで、自分で逆算して始めていくんですよね。その最後の勝負とい うのは目を描くところになります。その顔を描くところまでを思い描きながら、木を彫るときも塗るときも常にそこに意識をおいています。
スポーツでも一緒だと思います。とっさのときになぜできるかというと、そこまでの積み重ねがあるから自然に体が動いて自信を持って試合に臨めるのだと思います。
先ほど“迷ったときにはやった方がいい”と言いましたが、自分の判断が常に正しいであろうという自信があるからできることでもあるんですよね。いざという ときにいい判断をし、行動するための積み重ね、修練をしておくことが大切になります。子供から学生になり、そして大人になるまでの積み重ねもそうだし、 もっと短い期間でいえば、一年かけてやる人形も同じだと思います。
御所人形「わんぱく」

十二世 伊東 久重・建一展 —御所人形の伝統、脈々と—

会期:2014年1月22日(水)~28日(火)
会場:高島屋京都店6階 美術画廊(最終日は午後4時閉場)

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